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告白     ヤンナッチャウ サシスセソー

私は植物というものがよく判りません。

植物に詳しい人なら、その葉を見ただけで、それがなんと名付けられたものであるのか判るのでしょう。しかし、私は葉どころか花が咲いても、それが何であるのか判らないのです。

そりゃチューリップやヒマワリなら “これは何だ” と問われれば、たぶん間違えずに答えられると思います。しかし、これはあくまで‘思います’であって、正直言うとあまり自信がないのです。


もちろん、生まれながらに植物が嫌いだったわけではありません。
私が子供だった頃、母が“お米のとぎ汁をあげるといいのよ” と言っていたので、私はとぎ汁の濃いのをベランダの植木鉢にかけてやったりしましたが、ある時ふと、色水をあげたらどうなるのだろう?青いお汁をあげたら青いお花が咲くのかしら?と思いました。

ボトルに入ったインクを少し、水にとかしてやってみたところ、なんとなく茎の下方が青くなったようでした。
青い花を見た記憶がないので、今思えばきっと育たなかったのでしょうと思います。


米のとぎ汁に関連して思い出したことがあります。
小学校で、教室内に置いてあったプランターに男の子達が牛乳をかけていました。牛乳はとても栄養があるので、植物も良く育つということでした。
私はその時、ほんとかな?無理なんじゃないかな?と思いました。私はその頃、少しだけ賢くなっていたのかもしれません。


また、自分で育てようとしたことだってあるのです。これも小学校のときでした。
ヘチマの種を植え、発芽、双葉、本葉、と観察したことがあります。ただ、当時の私の家は庭付ではありませんでした。そのためへちまの種は、家の前の街路樹の根元に植えられました。
ある日、市の業者が木々の整備に来られ、ヘチマは土ごと取り除かれてしまいました。母が文句を言ったところ “ここに植えたらいけない” と言われたそうです。
この一件をきっかけにして、私は‘植える’という行為からしばらくの間離れることになりました。



高校生の時に、露草の種を買って植えた記憶があります。これは私にとって数年ぶりの‘植える’行為でした。
その時は家に庭があって、母が何やかやと色とりどりに植えていましたので、私も何か植えてみたいと思ったのでしょう。
露草の種に水をあげたのはほんの2、3日で、後はあまり覚えていないのですが、それが良かったのかどうか、しばらくすると小さな青い花が咲いていました。今思えばそれが露草だったのかどうか、でもその時は、
へぇぇ、咲いたやん~ と思いました。



さて、私も結婚して子供が生まれました。そして子供が幼稚園の時でした。
園庭の清掃を母親達も手伝おうということになり、私も作業に参加しました。園庭の草抜きをしてくださいとのことでしたので、私は園舎の壁ぎわに生えていた細い草を無心に抜いていました。
すると、何かしら?園の先生が叫びながら走って来られます。

“ほーせんかをぬかないでくださーーーい!”

私は、ああ、きっと私に言っているのだ、と悟りました。
私は、‘草抜きをしてください’の言葉に、素直に従わない方がよかったのかどうか。そこに何某の疑いを差し挟むべきだったのか、ああ、緑色のそれを草と認識してはいけなかったのでしょうか。



子供が小学校の時でした。
学校で育てていたアサガオを持って帰ってきたのです。もうすぐ夏休みだから、お家で水遣りをして、そして宿題の観察日記を付けなさいということでした。

私は庭の日当たりの良いところにアサガオの鉢を置いてやり、そして水遣りをしました。翌日、アサガオはどこか元気がないようで、しなっとしていました。翌々日になると、棒に巻きついていたものが、ところどころ外れていたりして、そして少し茶色くなっていました。

私は知らなかったのです。
水は遣り過ぎたらいけないということを。
そして、日中のかんかん照りのときに水遣りをしてはいけないということを。

かわいそうに、子供は枯れていく様子を観察日記に付けていました。そして新学期が始まると、さらに悲劇が起こりました。
アサガオの鉢を学校に持って来いと言うのです。なんでも種を採るということでした。

つづく、、、。

by hiruu | 2009-09-08 00:16 | 日記