東北の旅6~鳥海山と鶴岡の出来事

「こんな日はひと冬に2度あるかないかですよ。あなたよかったね、ええ日に来たね。ん、これだと鳥海が見える。」

「ほんと、私、恵まれてますね。こちらは物凄く寒いと思って、こんな防寒服着て来たのに。おまけに長靴まで持ってきてるんですよ。」

鶴岡へ向かうバスの中で、私は初めて出会った人達とおしゃべりに高じていました。そういえば、こちらに来るバスでもこの方と同じような年恰好の老婦人と話しをしたのです。
この地は誰もが好意的で、いつでも誰かが私のことを見ていてくれるような、何か安心感のようなものがありました。

「ほんとに、2週間前だと全然違ったよね。」

「ええ、あのときはねぇ。もう吹いて、吹いて。」

老婦人がアンケート調査員の男の人と話し出しました。この日はたまたま、乗客へのアンケート調査と称して、バス会社の人が乗り込んでいたのです。私はこちらに来るときのバスでも同じような質問をされて、また同じことをここでも答えていたのですが、そのときに神戸から来たというのが他の乗客達の耳に触れたのでしょうか。好意的に感じるのはそのせいかと、そんなふうにも思ってぼんやり窓外を見ていたときでした。


「ああっ、あれが」



「そうです、あれね」

「ほぉ、鳥海が見えるな」


晴天ながらも薄っすら霞んだ遠くに細い稜線が引かれていました。それは正確な線対称でした。流麗といえばもちろんそうなのですが、そんな言葉ではとうてい言い尽くせない、どうしてあんなところにあんなものが、と狐につままれたような、あれ?といった感じなんです。



「これから、どちらへ行くの」

アンケート調査の人が背後から話しかけてきたのにはっとして、私はこれからの行程を説明しました。

私が山形に来た第2の目的は羽越本線に乗ることでした。海側から月山を見ること、そしてうまくいけば日本海に沈む夕日を見れるかと考えていたのです。すでに七五三掛村から月山を見て、注連寺にも行けたので、ここまでは予定通り順調な行程でした。
鶴岡発の電車までずいぶん時間があったので、これといった目的場所はなかったのですが、到道館、うまくいけば到道博物館まで散策してみてもいいなと考えていました。


「黒いマリア像を見に行ったらいい。あれはめづらしいもんだから。」

「黒い、マリア像」

まだ行くとも言わぬ私に、さっさと用紙を裏返して地図を描き出してくれたので、私は席を立ってその人の前の席に移動したのですが、

「ここに赤い橋があるから、そしてこっちに消防署があって、こっちじゃなくてここ、右側にある。もうひと筋歩いて左に曲がれば到道館。帰りは、市役所の前から駅へ行くバスが出てるから。」

さらに、

「博物館はお金がかかるよ。教会は無料だからね。」

とおっしゃるのです。

久しぶりに旅に出ることができた私にとって、数百円ぐらいの拝観料などどうでもよかったのです。もしかすると、私がよっぽど貧乏に見えたのかもしれません。

予定ではこのまま鶴岡駅まで出て、そこから到道館行きのバスに乗り換えるつもりでいましたが、
「ここで下りて、ここで下りて」とおっしゃるので、結局言われるままに、何というバス停かちっとも判らぬ所で下車し、描いてもらった地図を頼りに歩き出しました。


教会によくあるように、鶴岡カトリック教会は幼稚園といっしょになっていました。もう午後も遅くになっていたので園児はいないものの、ご婦人方の集団が来ていました。こんな季節に、どこへ行っても観光客の姿など見かけなかったのですが、さすがに有名なところなのでしょう。

黒いマリアは左側の副祭壇に、金色の衣を纏った姿で真っ直ぐに顔を上げて立っていました。
それまで私は寺の暗いところで即身仏を見ていました(大日坊は少し明るかったですが)。
そしてマリアはとても明るい場所で、おまけに白い壁を背景にして立っていたので黒い顔がはっきり見えました。

即身仏は人であり、マリアは像であって、もちろん比較すべきでないかもしれませんが、苦行を極めたそれとマリアの優しい表情は対照的で、日本と西洋の対象の捉え方というか、捉える姿勢の違いというか、宗教観の違いというかなんというか、また少し勉強してみなければと思ったのです。


(~風はここまで。きどって書くのに疲れたので戻します。)



到道館は、庄内藩主酒井忠徳公が開いた藩校。だそうです。

敷地内には誰もいませんでした。あまり長居をするつもりもなかったので、少し庭園をうろうろして帰ろうと考えていましたが、いつの間にここに来たのでしょうか、若い男が話しかけてきました。


「梅の蕾が膨らんでいますね。春が来たなと、思いませんか」


正直ひきました。何か目的がありそうなその目つきに、さらに2歩ぐらい引いたのですが、自分がおばはんだったことを思い出し、走って逃げるようなことはしませんでした。

テレビ局の取材でした。山形の朝日系のなんやらとか。たしかに、赤い梅の蕾が膨らんでいました。
そして言われるままにインタビューに答えることになったのですが、梅の木の所に立って、さきほどの「春が来ましたね」みたいなことを言って欲しいということで、素直に応じたのです。それでも、

「やらせじゃないですか」とつっこみを入れることは忘れず、
「これ、映るんですか」

「はい、今日の夕方のニュースで、放映します」


旅館のチェックインが19時頃の予定だったので、そのニュースは見れないなと思いながら、ちょうど若い女性グループが来たのでそちらに振って、

「私はこれで失礼しますけど、よろしいですね」

そう言ったときすでに、その男の人は若い女性グループに話しかけていました。少しほっとしながらも、なんやねん、と思ったことを正直に書いておきます。


後日、家に帰ってから何となく気になって、山形○○○を検索してみたら、バックナンバーに赤い梅の蕾が動画のイメージになっているのがあって、もしや?と思ったらそれだった。ああ、汚いおばはんが。
あのとき後で入ってきた若い女性グループは、と思ったらほんのちびっとで、ほとんどが私の顔。それもすっぴんで、寝不足の腫れぼったい顔が、かなり大きく映ってて、それがニタニタしながらしゃべってる。ぐぇぇ~~~。


この日、鶴岡市では最高気温が平年を16.4度上回る20.9度を記録したそうで、それでニュースヘッドラインとなったわけです。
今思えば「その上着、暑くないですか?」とか言われながら、荷物になるので脱ぐのもめんどうと着ていたのが、どうもニュースの内容に相応しくなかったらしく、それで肩から上ばかりが映し出されていたのです。
バックナンバーがなかなか消えなかったのが、やっと消えたので書きました。


写真は到道館
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鳥海山は、写真を撮ることすら忘れるほどで、ありません。。。


(つづく ~羽越本線小砂川駅まで)
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by hiruu | 2010-03-30 15:47 | 日記

東北の旅5~出羽三山信仰

(今回も森風でいきます。)

「どっち行きよるの あー ちょっとちょっと」

大日坊本堂を慌しく出た私は、持ち前の方向音痴で来た道が戻れず反対方向に歩き出していたようです。副住職に呼び止められ、再度お礼を言って方向を変えましたが、ふたたび呼び止められてしまいました。

「あーちがうちがう あっちから回らなくては、そっちは雪で塞がって通れない」

この時点ですでにバス発車5分前でした。私は駆け足で坂を下りはじめましたが、高台から見下ろす大網村はどの屋根にも雪が均一に積もっていて、またここに来れるかなと思いながら、もうバスなんてどうでもいいような気がしました。

バス停まで5分とは聞いていましたが、きっともう間に合わないでしょう。予定では夕方までに鶴岡に着かなければなりませんでした。私は半分あきらめながらも、やはりどこかで数分でもバスが遅れてくることを期待していたようです。



背後から近づく車の音に、なんとなくそんな気がしていたのですが。
あれは本堂に伺う前のことでした。道が雪に閉ざされていたため迂回して境内に入った私は、一番手前にある大師堂の方に先に入りました。そこには誰もいそうになかったので、一息つこうと思ったのです。長い坂道を上って来たため、こんな冬の最中に私は大汗をかいていたのです。

こんな所で、と思いつつ重ね着の一枚を脱ぎながら、雪囲いの隙間から外を覗ったとき、たしかこんな車が停まっていたなと、そんなうろ覚えのある赤色が目の端に見えたと思うと、車のドアから着物の袖がはためき

「早く乗りなさい あと3分しかない」

思ったとおり、副住職でした。ありがたいことに、まだこんな私のことを気にかけてくれていたのです。私は副住職の運転する車でバス停まで送って頂き、そして別れ際に再訪を約束しました。

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ここで出羽三山信仰について少し勉強したので、自分の感想も含めてまとめておきます。


《出羽三山》
月山、羽黒山、湯殿山の3つの山にそれぞれ神を祀ったのが大昔の話。

それから、インドから中国を経て仏教が入ってくるわけですが、もともと日本人は外来文化を取り入れるのが上手なので、良い面だけでなく悪い面を取り入れることはもちろん、またそれを独自の文化で融合させて違った形式、言い換えれば都合の良い形、で発展させたりする。しかし、そんなふうにしながらも時代によってはあれはやっぱりいっしょにしてはいけない、いやまとめてひとつにしておくのが良いんだ、なんてごちゃごちゃやるわけです。

神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して寺が置かれました。これが※別当寺というのですが、月山には何々寺と何々寺、羽黒山には何々、そして湯殿山には何々と。そして、私の行った注連寺と大日坊はこの湯殿山に属します。
※神社の祭祀を仏式で行う者を別当(社僧ともいう)と呼んだ。 Wikiより引用
(例えば、神社の祭壇でお経をあげたりするわけですね。)


当時は信仰のよりどころとして神、仏どちらも受け入れられていました。仏教伝来当初には、仏は、蕃神(となりのくにのかみ)としてちゃんと区別されていたのに、だんだん混沌としてきて、そんでもって何某の偶像がないと有り難味を感じないので、社に仏像を祀ったりしていたかな。もちろんちゃんと区別して神のみ、仏のみを信仰していた人もいたと思うけど。



江戸時代の初期になると、羽黒山の天宥上人さんと徳川将軍家に癒着ができました。

もともと、出羽三山の寺はどれもが空海(弘法大使)の真言宗でしたが、天宥上人さんは将軍家に保護されていた比叡山の延暦寺にあやかり、天台宗に改宗したのです。それで、月山も同じように天台宗に改宗させられてしまいました。

しかし、これに湯殿山だけが反発しました。

で、今でも湯殿山派のみ真言宗なのです。即身仏さんのお名前に鉄門海上人、真如海上人、と必ず「海」の字がついているのは空海さんの「海」をもらっているわけです。


明治になると、神と仏はやっぱり別々にせなあかん(神仏分離令)、ということになりました。
これが、ただ分離させるだけでいいのに、どういうわけか仏教排斥の意味に受け取られだして、結果として廃仏毀釈と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまいました。

神仏分離令によって注連寺、大日坊は湯殿山から寺院として独立しました。
しかし、出羽三山の他の寺院は、この廃仏毀釈によって壊されてしまったところもあります。また、もともと早くから廃れていたのでスルーされて、宝物だけ残った、というところもあるそうです。




《信仰》
私は何で人がそこまでして何某かを信心しようとするのか、どうして信仰というものが生まれるのか、実はまだよくわからないのです。

毎日をのほほんと暮らしている人間にはとても信仰心なんて生まれるものではないのかもしれません。でも、ちょっとだけそんな気分になったことが一度だけありました。

数年前に、二つに一つの選択に迫られて、自分ひとりではとても選択できなかったときに、何か縋るものが欲しいと思ったことがありました。これは、自分の選択を肯定してくれる何某が欲しかったというよりも、誰かに選択を委ねたかったというのが本音かもしれません。
こういった思いがもっともっと苦しく厳しいものだったら、信仰というものが自分にも生まれたのかもしれないなと思いますが。


しかし、出羽三山信仰は、このような他力を願うものじゃなさそうですよ。


修験道(しゅげんどう)といって、山で苦しい修行をして、‘自力で得る’もののようです。

自分が得れば、他の人にも得させてあげたいと思う。苦しい修行を途中で挫折しないようにと、なんとかしてあげたいと思う。
鉄門海上人さんも真如海上人さんもそんなふうに思われたのかなと、そして苦しい修行をとことんまで極め即身仏という姿になって、いつでも会うことができるように、今もあそこに座ってらっしゃるのかなと思うのです。


さっき‘他力’とか‘自力’って書きましたが、本当の意味はよくわかっておりません。
修験道の実践を通じて‘得た’ということは、森羅万象から‘験を得た’わけなので、あるいはこれが本当の‘他力’というのかもしれません。
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この日、鶴岡市では最高気温を記録したそうです。とってもお天気のよい、ここが東北の地とは思えないぐらいでした。大師堂の雪囲いを内側から見たところ。
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囲いの隙間から撮ったので写りが悪い。前に見えているのが本堂。左下に赤い車が、、。
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汗をかいたのでズボンと靴下を、、、失礼いたします。
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古くから出羽三山と呼ばれ、信仰で栄えた格式ある寺社のひとつ大日坊。そしてその大日坊の、いずれは跡目を継ぐであろう副住職。
この方は、黙っていたらとても上品なオジサマです。しかし、実は話し好きで、気さくで、しゃべりだすとなんぼでも、、、、、。あまり書いて検索して来られたら失礼になりますので書きませんが、もうあのお寺の雰囲気そのもの。この人がいるからあのお寺がこういう雰囲気になるのか、あのお寺がこの人をこういう人にするのかはしりませんが、ここまでお世話になってしまうと、私はもう親愛の情を込めて‘おっちゃん’と呼びたくなるのです。

この場を借りて、おっちゃんにお礼を。
おっちゃん、あの時は本当にお世話になりました。そして、短い時間でしたけど、とても濃いお話を聴かせて頂きました。
おかげ様で、これまであまり関心のなかったことにまで興味が出てまいりまして、そして、少し自分の生き方を振り返ってみなくてはいけない、などと考えてみたりしました。

私はとても即身仏さんのように強い人間になれませんが、もし挫折しそうになったときは、あの時の真如海上人さんのお姿を心に浮かべてみようと思います。

いずれまたそちらに訪れ、あの時バスの時間の関係でお聞きできなかったお話をお聞きしたいと思っております。そのときはあの赤い車をお願、、、。

ここで改めてお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。


そっちから行くと道が、、、。
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塞がってるって。
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  ↓本堂ではありません。大師堂、たぶん。
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   雪下ろしせんでええんかなー。




(まだまだ続いていいですか。)
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by hiruu | 2010-03-28 01:02 | 日記

東北の旅4~七五三掛部落から大日坊へ

更新が遅くなってしまいました。そして書くリズムが途切れてしまいまったので、ここからちょっとばかし、文体を変えて書こうと思います。はい、森風に。~~~~~~~~~~~~~~

大日坊も先ほどの注連寺と同じく、雪囲いで被われていました。私は本堂の威容など判らないままに囲いの中をちょいと覗き、‘おじゃまします’と言ったところ、受付に数名の人が居られるようで、話し声さえ聞こえないものの、どういうわけかにぎやかな感じがしました。
最初、雪囲いの隙間から差し込む日差しがそう思わせるのかと思いましたが、これはこのお寺特有のものらしいことが後になって解りました。

大日坊は注連寺の静かで厳かな雰囲気とは違い、全く対照的な寺でした。

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ここまでの経緯を先に書きます。
最初注連寺を訪問したとき、私はしばらくこの寺で時間をつぶそうと考えていました。しかし、丁寧な案内や説明をしてもらったにもかかわらず、注連寺拝観にたいした時間はかかりませんでした。
このまま真っ直ぐバス道に下りれば一本早いバスに乗れるかと考えましたが、少しもったいないような気がして、寺の裏山の方へ少し上ってみようと思いました。

思いリュックを背負って寺周辺の坂を上ったり下りたりしていると、後ろから来た車から

「乗りますか?国道まで出るんでしょ?」と声が掛かりました。

若い娘ならいざ知らず、私はオバハンなので何の警戒もなく男の人2人が乗る車に同乗させてもらいました。
私はこのとき七五三掛周辺を散策してみようとも考えてましたので、国道に出る手前で下ろしてもらおうと思いましたが、ちょうど昼食時でもあったので

‘この辺りで食事のとれる所はありますか’と聞いてみました。

実を言うと昨夜から何も食べていなかったのです。すると

「私らも今から食事へ行くところです」ということでした。

結局、国道まで送ってもらうどころか昼ご飯までご一緒してしまったのです。まあそれは良しとして、もとの大網のバス停まで送ってもらったところ、まだ次のバスまでかなりの時間がありました。私は七五三掛の端っこから大網にかけてを散策しながらも、先ほど食べた玉コンニャクが結構腹を満たしているせいもあって、最初予定には入れていなかった大日坊まで足を伸ばすことにしたのです。

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大日坊本堂に入ると、日本人離れした目鼻の奥様がいらして、灯油ストーブをあっちからもこっちからも、3,4つ運んでこられました。私は、

‘寒くないのでよろしいですよ’と遠慮したのですが奥様は

「いえいえどうぞどうぞ」

まるで本来の観音様はこうではなかったかと思えるようなお顔をしておっしゃるのです。

実際、山裾の人気のない村を散々歩き周り、ここまでの急坂を登って来た私は結構な大汗を掻いていたのですが、せっかくの奥様の御行為をありがたく頂戴し、それからご本尊の前で頼んでもいない祈祷までして頂いたのでした。

お祓いが終わり顔を上げると、私の横に副住職が立っておられました。色白で上品なお顔をして

「今からご説明をさせて頂きますがお時間はよろしいですか」静かに問われるので、

‘次のバスに乗らないといけませんので、30分ぐらいでお願いできますか’と答えると

「バス停まで5分もあれば行けるので十分でしょう」

ということでした。

寺までの上りは私の健脚15分程度だったので、下りは5分かなと思いました。しかし私の心の内ではバスの時間が少し心配でもありましたが。




副住職のお話しはお寺の歴史に始まり数々の宝物の説明、特にその中で春日局が家光の健康と将軍跡目決定を願い納められた奉書がありました。
それまで私はただ聞いているだけでしたが、副住職が

「竹千代」とおっしゃったのでおもわず

‘家康のことですよね’と言うと

「いやいや、竹千代は家光のこと」と。

(・・・後で調べたところ、徳川家将軍の幼名って代々にわたり竹千代なんですが、知ってらしたか知らんかったかはお互い様)


副住職は最初ゆっくりと話されていましたが、だんだん速くなってきて、

「あれも話したいのに、これも話したいのに」と言いながら、

廊下に置かれた波分大聖不動明王に私が関心を示しているにもかかわらず

「即身仏さんを見てもらわな」

と、即身仏が安置されている部屋に私を急がせるのです。





即身仏にお成りになった真如海上人様は、赤い毛氈の敷かれた台座の上にいらっしゃいました。
副住職はここで即身仏とミイラの違いを詳しく教えてくださいました。

まず、ミイラは死後に他者の手によって処理を為されるものであること。その時に防腐処理に使われる薬剤をミルラといって、それが語源になっていると。
そして即身仏は自力によって、内臓防腐のために漆を溶かした水を自ずから飲む。つまり生きながらにして成されるものであると。ここのところがミイラとは違うんだと強くおっしゃられました。


簡単にまとめさせて頂くと、即身仏に成るには五穀一切を断ち木の実、皮を摂る木食行に始まり、漆を飲んでは自分の力でミイラの状態に近づける。そして入滅の際は土穴に入り座った姿勢のまま経を唱え、そして鈴を鳴らす。

外部にいる者はその鈴の音を聴き、彼がまだ存命だということを知る。つまり鈴の音はまだこの世に生のある証になるわけですが、その音が聞こえなくなり入滅と判断されてもすぐに土穴から出さず、そのあと何千日だったか忘れましたが決められた日数を経て、そこで初めて地上に出されるとのことです。
仏教の行はいろいろあるようですが、これほど過酷な苦行があるのですね。




昔、大日坊が火災にあったときに、あと2体あった即身仏が焼けてしまったそうです。
副住職が2つの黒い位牌を手にし

「お位牌になってしまわれたのですよ」

とおっしゃるのを聞いて、私は即身仏がどういうものかがようやく解ったように思いました。つまり、現存している即身仏はまだ死んではいないということです。

どこの寺でも秘仏というと数年に一度の公開しかされませんが、先ほどの注連寺にしても、この大日坊にしても、どうしてこんな大事な仏をいつでも拝観できるような形で置いてあるのだろうと、そしてこちらが見せてくれなど言わないのに、気軽に見せてくれるのだろうと、私は不思議に思っていたのです。

生きながらにして仏になったので、その姿を見せてこそ人々を教化していく力があるのでしょう。



長くなるのでこのへんで、、、続く。

~~~~~~~~~~

写真は川の水が地表面を流れないようにバイパス用のパイプ、だと思います。
ただいま七五三掛村は地滑り災害のため住民の方が避難されています。私が行ったときも工事関係の方があちこちに立っておられ、安全のために誘導して頂くなど大変お世話になりました。
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七五三掛村、といっても注連寺近辺以外は立ち入り禁止区域となっているので、私が散策した場所は村の端っこの方から大網地域だったと思います。

遠望~月山が写っています。
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中央部、雪山の下にコンクリートの枡のようなものがあるのですが、わかりますか。
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どの家も雪解け水を利用しているようです。
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綺麗な水でした。
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早く住民の方が元の家に帰れますように。
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by hiruu | 2010-03-20 04:19 | 日記

東北の旅3~注連寺の行きかた~

ここは読んでもおもしろくないかもしれません。ただ、森敦ファンでいつか注連寺に行きたい!って私みたいな人はたくさんいらっしゃると思うので、そしてその中に、どうやって行こう~~~ と頭を悩ませる私みたいな、加えてとんでもなく方向おんちで地理おんちと、そんな人が一人ぐらいはいるかもしれません。そしてもしそんな方がここを見てくれたら、少しお役に立てるかもしれないので、詳しいのを載せることにいたします。

○注連寺の行きかた1
鶴岡駅から路線バス(庄内交通)に乗る。

○注連寺の行きかた2【関西発時間節約型】
高速バス‘アルカディア号’(大阪発)の山形駅到着が朝7時56分。注連寺へ行くにはここから電車、又はバスに乗り換えいったん鶴岡に出るのが通常のようです。しかし、それでは注連寺到着が遅くなってしまうので、何か方法はないものかと考えてみたのです。そしたらショートカットで行けそうなことに気づきました。
ただし道路状況などでバス発着に遅れがみられるときは無理です。

まず山形駅(終点)ひとつ手前の山交バスターミナルでアルカディア号を下車。これが7:49分です。そして同ターミナルの4番乗り場に移動します。次のバス発車まで15分しかないのでトイレ行ってる時間があるかどうか、ターミナルは広々しているので、私は乗り場確認にけっこう時間かかってしまいましたよ。   ※山交=山形交通 略してヤマコウ というそうです。

8:05発 山交バスターミナル(乗り場4から乗車 鶴岡・酒田行き)  山形自動車道を走ります
 ↓
9:32着 朝日BS        ※BS=バスストップのこと

 ↓   ここから路線バスの停留所まで徒歩。10分かからなかったと思います。
 ↓                                       (地図を下に載せました)
    
9:51発 朝日小学校前(田麦俣・湯殿山方面)※田麦俣=たむぎまた
 ↓
10:03着 大網(おおあみ)
 ↓(徒歩20分)
注連寺                      -時刻表は2010年2月現在のものです-

図の赤い丸のところから高架下をくぐって行くのですネ。そして川を越える。今思えばこういったところを写真に撮っとくべきだったと思います。参考までに・・・朝日BSなんていうと高速道のサービスエリアみたいな所を想像してましたが土産物などもちろん売ってなくて無人の小屋でした。ドアを開けると椅子が2つ3つあって、下の道に降りる階段があるだけ。それと、ここから小学校前のバス発車まで20分しかないわけですが、たまたま晴れてたので良かったけど大雪で吹いてでもいたらとても10分では行き着けなかったと思います。
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画像は庄内交通さんからお借りしました。

(~七五三掛部落から大日坊へ つづきます)
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by hiruu | 2010-03-13 01:01 | 日記

東北の旅2 ~注連寺~

今回の旅は精神のリフレッシュを兼ねていました。何を言ってもまともに把握できなくなっている父に、私はかなり苛立っておりました。
呆け症状は年齢に伴うものだから仕方ないと判っていながら、つい辛く当ってしまうことが度重なっていました。
‘気分転換は必要よ’との周りの勧めもあり、私も日常を離れて少しゆっくりしたいなと。つまり固執した頭をぶっ飛ばしてこようと思ったのです。

日程調整も済ませ、さあこれから計画立てるぞと勢いこんだものの、都会と違って東北は電車、バス共になんて便数が少ないんでしょう。このバスの到着が遅れたらこの電車に乗れない。そうなるとこの計画はおじゃん。もし雪で通行止めになったら?などとあらゆる悪条件を考え、何パターンもの計画を立てました。もう計画だけで折れてしまいそうになりました。

で、頭を悩ませた詳しい旅程なんですが、これは後で載せることにしてまず注連寺を。


幸い天候にめぐまれ、バスの乗り継ぎも予定通り。迷うこともなく第一目的地に到着することができました。


   「注連寺」です。
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本堂は工事中ではありません。これは‘雪囲い’です。
右横奥に見えているちいさい蔵のようなのは‘森敦文庫(文学資料館)’です。
森文庫が冬季閉鎖とは知っていましたが、事前に鶴岡観光協会に聞いたところわざわざ寺に問い合わせてくれまして、「見れますよ」とお返事を頂きました。しかし期待して行ったところがこの有様。かなりの雪に塞がれておりました。
私の行く2週間程前にかなりの大雪があったせいか、「とても入れるもんじゃありません」と苦笑されてしまいました。


これはあの有名な七五三掛桜?
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この桜は白から深い桃色に変化するそうです。開花は4月下旬頃。

あああ
お寺の奥様に尋ねると、ここは‘宿泊所’とおっしゃっていたように思います。最近は映画「おくりびと」の舞台になったそうですが、森敦「月山」では‘庫裏’となっています。祈祷簿でつくった帳で寒さを凌いだというのがここの2階にあたるのだと思います。
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ううう
周辺をうろうろしたかったので、宿泊所の脇から坂を上がっていきました。
小説にあった「独鈷の山」はどこだろう・・・。
道は綺麗に除雪されていますが、影になったところは凍結していました。危うく足をとられそうになりました。
このとき時間は午前11時ぐらいだったと思います。夕方になるととても歩けなかったと思います。
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えええ
坂はそれほどきつくなかったのですが、汗が出てきました。せめてあの電波塔のところまで行ってみよう。
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おおお
残念、行き止まりでした。
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かかか
雪の壁が視界を遮っていたのですが、背伸びをすればこんな感じ。
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ききき
涙が出そうになりました。ここに来れたことに感謝します。
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(~旅程 注連寺への行き方 につづきます)
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by hiruu | 2010-03-07 01:53 | 日記

東北の旅1 車窓風景~

先月末、念願だった東北へ行って参りました。

目的地は山形。2月末とはいえ防寒服、手袋帽子にゴム長靴。さらに足カバー(長靴の上にかぶせるもの)まで準備し、重いリュックを担いでの出立となりました。

夜行バス「アルカディア号」大阪発20時20分。3列独立シートで座り心地とても良く、翌朝7時56分山形到着までゆっくり静養できそうでした。実は父のこともあり、旅の準備だけでかなり疲れていたのです。
ま、このことは後で書くことにして、お天気に恵まれた山の写真をまず一枚。


一枚目、バックミラー左下あたりに鳥海山が写っている(←あやういので消します)のですが、、、。これじゃわかりませんよね。
えーと、山形駅~鶴岡・酒田間を結ぶ高速バス内から撮ってます。
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2枚目、前方の表示板が見えればここがどの辺りか判るのですが、、、。
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三枚目、これがなんとかましに撮れた一枚です。
これを撮ったのは、時間調整の為ちょっとの間停車したバスストップだったと思います。それがはてさて、西川BSだったのか寒河江BSだったのか?よくわかんないので帰ってきてから調べてみたら、寒河江ダムから撮った月山だったようです。写真では見えず、もちろん私も見ておりませんがこの下方には月山湖があったはずです。
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で、父のことですが、
父は昨年夏に施設でのショートステイをお願いし、これまで度々お世話になっておりました。最初は1泊2日を月に1回。翌月は2回。さらに1泊から2泊、3泊と延ばし、それを月に1度から2度、3度と、家と違った環境に慣れてもらうのに約半年かかりました。まだ慣れてくれたとはいえませんが、今回初の5泊6日となったので、これなら東北行けるかも!と決意するに至りました。


それがもう心配することひっきりなしで。。。ショートステイ日の直前に転倒して頭でも打ったらどうしようとか、そうなったら旅行どころではなくなるので気になって気になって、父の体のことじゃなくて自分の旅行のことが気になって、もう父から目も離せずヒヤヒヤ。これじゃいけないと自分の家に帰り、数時間後父宅に行くとひっくりかえってるんじゃないかと玄関開けるのもドキドキで、そんな中、ややこしい旅行計画を立てていたのでした。

だって、まあ、、、羽越本線て、なんて便数の少ない・・・。

(~注連寺 につづきます)
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by hiruu | 2010-03-02 16:09 | 日記