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 外はとても好いお天気ですが、私は学期末で仕事が忙しく、家の中でパソコンを使う時間が長くなっております。


 今、炬燵デスクに向かってちょっと小休止とブログなんぞを開いておりますが、窓越しに外を見れば、雲は西から東へゆっくり動き、その下ではとんびが2匹戯れております。
 そしてお隣さん家のお庭は紅梅が満開で、うちの庭は茫々の草がそよいでおりますが、見苦しかった枯れ草でさえ暖かな日差しを透かして見せているので、それなりの春の景色が出来上がっております。全くどこを見ても春爛漫であります。


 さて、私のノートパソコンですが、ディスプレイの上を蟻さんが這っております。先日もお天気の好い日に同じ蟻さんにお会いしたのですが、今日はどうしたのか2匹居た蟻さんが1匹しか出てらっしゃってません。
 外はこんなに暖かいのに、私は 「早く出ておいで」 とキーボードを見つめて何度も話しかけるのですが、パソのお家の方が居心地が良いのか出てらっしゃいません。
 おそらうもう一匹の蟻さんは、よっぽど口が卑しいのでしょう。きっと、あの軒の低いお家の中で、餡フライにまぶしてあったグラニュー糖や、マロン&マロンの粉砂糖とか、せんべいの茶色いざらざらや、蒸しパンの白いぶよぶよとか、クッキーのバター気の混じったやつや、饅頭皮のカスカスになったやつとかに、まみれていらっしゃることと思います。


 まあ、せっかくの春ですし、もうしばらくはこのままにしておいてあげて、私もしばしの春を感じながら仕事に励みたいと思います。重要データは他メディアに保存して、と。
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by hiruu | 2009-02-16 21:11 | 日記 | Comments(8)

伯母のお手本

義伯母が百歳の誕生日を迎えました。
最近はめっきり足が弱くなり横になっていることがほとんどだそうですが、耳は達者、内臓だってどこも悪いところがなく、食事も椅子に座って自分で摂ることが出来ます。

良く出来た人らしく「姉さんは昔から賢い人やってな」とよくお姑さんから話を聞かされましたが、
伯母はその知性をひけらかすこともなく、物静かで、どこかふうわりとしていました。

10年程前だったか、伯母の部屋に置いてあった旧式の灯油ストーブが爆発し、家が全焼するという不幸がありました。伯母は大勢の家族といっしょに住んでいましたが、たまたまみな外出中で、家には一人でいたそうです。
持ち出すものも持ち出せなかったそうで、思い出の品はもちろん伯父の位牌も、長年住んだ家共々焼失してしまったそうです。

しばらくして私たちが見舞いに訪れると、伯母は以前と変わった様子もなくふうわりしていて、その穏やかな顔つきに対峙していると、逆にこちらが癒されるような、それでいて背筋が真っ直ぐ伸びるような、伯母はそのような人でした。

たまに訪問すると、うちの子供にお小遣いやお土産を持たせてくれるのですが、思えば出産祝いに始まって初節句、盆正月のお小遣と、いつも頂くばかりでお返しなどしたこともありませんでした。

この度ほんの少しですが、お祝いと寿ぎの手紙を贈らせてもらったところ、先日、従兄から内
祝いの品に添えられた、次のようなお手紙が送られてきました。

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 「立春」を迎え一挙に「春」が来たような暖かさですが、皆様にはつつがなくお過ごしのことと、お慶び申し上げます。

 さて、その「立春」を目前に控えた二月一日に、ホテル○○○○におきまして、母「○○○○」の百寿を祝う会を開催させていただきました。その節には過分なお祝いをいただきありがとう御座いました。
 厚く御礼申し上げます。

 当日は0歳から100歳までの親族五〇名が一堂に集まり、孫が中心になって「ワイワイがやがや」と大変盛り上がり、母もずいぶん喜んでくれました。
 当日の記念写真の縮小版ですが同封させていただきますので、ご笑納下されば幸甚です。

    二月四日
           ○○○○

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記念写真には白頭巾を被った伯母を中心に、直系が総勢50名集まっていました。また、

      『○○おばあちゃん百寿おめでとうございます
      子供6人 孫13人 ひ孫22人 平成21年2月1日』

と書かれていました。そこには失ったものがあったのかどうか、100年の歴史そのままがあるようでした。

私はこの一枚の写真とお手紙を拝見しながら、ふと「輝」という字が頭に浮かんだのですが、同時にまた何かを頂いてしまったような、そんな気持ちになりました。

ここに改めて、心からお祝いの気持ちを込めたくなって、こんな文章を書きました。
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by hiruu | 2009-02-13 01:22 | 日記 | Comments(16)

最近感動したこと

今年は朝日新聞創刊130年だそうです。先月25日の折り込みに御礼のチラシが入っていました。
御礼文は『平素は格別のご愛顧を・・・・・・信頼される新聞でありたいと決意を新たに・・・・・』といったよくあるもので、批判的なことばかり書いて信頼とは? とちょっと突っ込みたくなったのですが、これはまあいいとして、裏面に創刊第一号の記事が印刷されていまして、これがちょっと読んでみるとなかなか味わいの深いものだったのです。

一旦は廃品回収用の箱にほうり込んだのですが、今日になって箱の中をあさり、改めて読み返してみました。捨て切れなかったのは何故なのかな。ここに感想めいたことも含め、覚書きを残しておこうと思います。



見出しは【官令】【大阪府録事】【雑報】と3つありました。旧字体で擦れていましたが、なんとか読み取れたところを記します。


【官令】
‘官吏’とか‘月報’とか‘転任’の字が見てとれます。
それに‘大隈重信’や‘伊藤博文’の名前が記されています。

社会科が苦手な私にとって、明治といえば明治維新、大日本帝国憲法、ぐらいの語彙しか知りません。そして、大隈重信も伊藤博文も歴史上の人物、という認識です。それでも、

   ああ、 そっかー  そーゆー時代やったもんなー


と自分なりに納得。

ここで気付いたことがひとつ(捨て切れなかった理由その1)。

学校の教科書ではこういったことを歴史上の出来事、としてお勉強します。でも新聞記事で読むと、事実の出来事、として把握するわけです。たとえ130年も昔の記事であっても、媒体が教科書でなく新聞であるというだけで、とてもリアルに感じられる。
社会科が苦手な私にとって教科書はどこかファンタジーだっただけに、不思議な感覚でした。



【大阪府録事】
「従来医師出張診察所設置の儀情願・・・’‘聞届鑑札下付致し・・・衛生掛をして・・・管内該業の者ゑ・・・・・出張所取扱の順序出張診察の時間などを詳記し来る二月十五日限り當府衛生掛へ可届出事」

病院をつくれーとの運動があったか、病院を開業するには書届けが必要、と書かれているようです。ああ、近代化だなと。現代は、病院はあっても医者がいません。


【雑報】
ここには「御歌始」とあって、天皇皇后の御歌が掲載されていました。

  『あら玉の年もかはりぬ けふよりは 民のこころやいとゞひらけん』
  『日のみはた たかくかゝげて国民の あふぐやとしの ひかり成るらん』

願い、良き時代へとの希望。ちっとも捻ったところがなくて、正月の空に、春の日差しがあるようで、何度も読み返してしまいました。


次に、地方税の課税のことが書かれていましたが、これを

「甲乙の差なき様 余程御注意厚きよし」

と書かれてあります。‘御注意厚きよし’こういう言葉で書かれていると、心が伝わってくるように感じます。


他にも、どこどこの工場が近々新築落成で、すでに物資の調達が始まっているとのこと。これを

「江戸堀南通三丁目の當府勧工場は近々新築落成の由なるがもはや該場へ物産寄集めの事務は来二月中旬より取掛らるるよし」

‘物産寄せ集めの事務’と。そのまんまって感じの表現です。


駐車場の新設予定のことを

「・・・構内の南手に馬車貴馬の為に馬場を新築あると聞けり」

往来を馬が走ってた時代なんですよね。


「府下に水上警察と・・・四大川を巡廻する船は是迄一艘にてありしが今度四艘を欧化し五艘にて水上を巡廻せらるゝ事になるに付き昨今船大工職の者へ入札を申渡されたり」

物資や人の運搬に川を利用していたのでしょう。事故や事件もあったのでしょうね。
四大川って? 淀川資料館のサイトを調べてみると、淀川、大川、土佐掘川、東横掘川、道頓堀川、木津川、と6つ出てきましたから、まあその辺のことと思います。

造幣局が貨幣製造を開始したのは、明治4年だそうです。銅やらスズやら、貨幣材料も運ばれていたのでしょう。
人の運搬に巡航船が使われ出したのは明治36年。明治39年に全盛を迎えましたが、市電の発達とともに衰退し、大正初め頃に姿を消したそうです。

調べだすとおもしろくって、興味は尽きず。


「府下長堀川の鰹座橋は大破に附 近日懸替の着手になる」とか、

「今般中の芝居で面白ひ評判記が櫓連より発見」とか、

他にも昨年の西南戦争の時に立てられた陸軍病院がほったらかしにしてあるのを1坪70銭で払い下げになるとか、

どこそこで吟会が開かれて幹事が誰それで詩題は何で会費が二拾銭とか、

東京の華族の島津公は病気のため鹿児島県内で静養していたが全快して東京に戻ってくるとか、

奈良東大寺博物館が開場され、「珍器出品」と。
当時は文化財保護法はまだなくて、国宝とも言わなくて、‘珍器’  

兵庫県のだれそれさんは支那人より600トンの汽船を7万5千円で買って帆船に改造したとか、船おろしのときに船夫に渡す手拭5千を注文しに来たとか。



最後に梅の開花情報。これ実に活き活きとしてるのでそのまんま載せます。

「東高津村の梅屋舗は追々梅の蕾を綻ばすとて 茶店酒店はそろそろ小屋掛にかゝり来る二月中旬には全たく開き馥郁あたりを薫はすに至らんと閑雅人の話しなるが 実に梅は百花の魁であり舛」

「漸次梅が開けば早鶯すも初音を告る時となり 好事家打集ひ来る二月上旬の頃 難波新地蛙茶屋に数多の鶯鳥を持寄り妙音を戦かはすと聞く」

・・・・・どこそこで 「美濃産の水晶を種々の器に製し販売せり誠に奇麗で有升」
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by hiruu | 2009-02-06 01:45 | 本・詩・文 | Comments(8)