カテゴリ:日記( 316 )

回想

今日は、父がデイサービスにいってくれたので、朝からほげーとしています。

ほんとは片付けものとかたくさんあるんだけど、幸い雨が降ったりやんだりのお天気なので、日常の簡単な洗濯だけを済ませ、掃除もせず、買い物にも行かず、パソ前に座り込んでおります。


こんな時はブログの更新でもしてみようかなと思うのですが、あんまし楽しい話題もなく、何を書くということもないので、ぼんやりと以前書いたものを読み返しておりました。


2004年から始めてたんですよねー、このブログ。
最初の頃は、思いつくままに書き流しているようなのがたくさんあって、それが自分で読んでもなぜかおもしろいんですよね。構えずにさらっと書いているというか、内容にしても、ああ若いなーなんて思ったり。


そしてこの記事のところまで読んだとき、この頃はまだ母が生きていたんだなと、気づいたんです。

http://yukarihiru.exblog.jp/2080994/

友人に教えてもらったふりかけを母と買いに行った。それだけの内容なんですが、今その記憶がよみがえってきまして、こんな記事を書きました。


で、ここまで書いたらうっすら日が差してきたので、感傷に浸りそうになる前に、やっぱり買い物に行こうかなー。
それともちょっとだけ寝ようかなー。
[PR]

by hiruu | 2010-06-23 11:55 | 日記

近況報告とひさびさのクッキング

こんにちは。
あいかわらず介護とほげーを繰り返しながら生きてます。

ここのところ、いろんなことがありました。

1.テレビが壊れた。こちら23年使用。
2.風呂場の排水がつまった。築30年の古家。
3.オーブンレンジが壊れた。これは10年使用。
4.冷蔵庫がおかしくなった。これも23年使用。
5.パソが壊れた。前使用者が何年使っていたか知らないがおそらく通算10年ぐらいか。

で、1はそろそろ地デジとかいうのに買い換える必要があったのでちょうどよかった。
2は洗濯機からの排水といっしょになっていたのが災いしたらしく、洗い場のタイルを一部割って掃除してもらった。洗濯カスと糸くずがカチカチになって詰まっていたらしい。ちょっと出費だった。
3はお菓子を作るのに大事に大事にしていたから残念だった。
4はこれほど心を痛めたものはなかった。毎日あけたりしめたり、年末には綺麗にお掃除したりと、冷蔵庫は主婦にとって一番身近な電化製品だと思う。それが電気屋で新しいのを購入して家に帰ってきたとたんに配達に来たので、古き物に名残を惜しむ時間もなかった。
ほんとは娘2人の間に入ってもらって記念写真を撮りたかった。娘たちといっしょに育ってきた冷蔵庫には、数々の思い出がある。
それが写真どころか、キッスをする暇もなく、慌しく持っていかれてしまった。
5は、旦那の友達がもういらないからと譲ってくれたものだ。ちょうどその時、愛用のエプソンエディが調子悪くなっていたので、旦那が使わないのをいいことに私が使っていた。
譲ってもらったものはソ▼ーの△イ○。気に入らなかったので早く壊れたらいいと思っていたが、2年ぐらいお世話になっただろうか。だから愛着はわいていたが、やはりちっとも惜しくはなかった。



ころっと話は変わるが、母方の叔父が亡くなったときのこと。


法事に叔父の家に行くと、洗濯機が新品だった。叔母さんに、

「買い換えたのね」 というと、

「あんた、ちょっとこれも見てぇな」

といってクーラー、テレビ、それと電気ストーブだったか、あっちこっちの電化製品を指してはこれもこれもと

「で、次は何やろ思ってたらあんた、死んでもたがなぁ」

と叔父の遺影を指差した。

漫才コンビみたいな夫婦だったので残念でしようがない。

長い年月同じ空間に居ると、何某の力が働いて連鎖でも起こるんだろうか。それには人間も物も関係ないのかもしれない。


と、そんなことを考えていると気になってきた。
明日、父がショートステイから帰ってくるが、一度健康診断を兼ねて医者につれていこうかな、な~んて。


==============================

lanちゃんに教えてもらったの。ヨーグルトを使ったおやつ♪
b0032167_154121.jpg


小麦粉 150グラム
ベーキングパウダー 大1/2
砂糖        大1
塩         小1/3
ヨーグルト     60グラム
牛乳        60cc
卵         1/2

私はこの倍量で作った。
生地をザックリ軽く混ぜるだけ。あくまでザックリと。
b0032167_15737100.jpg


てきとうに何でものっけてOK。私はトマトとマヨネーズ、ちょっとだけチーズをのせました。
b0032167_221137.jpg


180度のオーブンで30分程度。
b0032167_23439.jpg


ザックリした食感で美味しかった。何ものっかってないところにバターをぬったりジャムをぬったり、いろいろ楽しんで食べた。
一切れでけっこうお腹にずっしりくる。

これは壊れたオーブンで作った最後のお菓子になりました。
[PR]

by hiruu | 2010-06-10 02:13 | 日記

東北の旅10~肘折の谷

 『ながく庄内平野を転々としながらも、わたしはその裏ともいうべき肘折(ひじおり)の渓谷にわけ入るまで、月山がなぜ月の山と呼ばれるかを知りませんでした。そのときは、折からの豪雪で、危く行き倒れになるところを助けられ、からくも目ざす渓谷に辿りついたのですが、彼方に白く輝くまどかな山があり、この世ならぬ月の出を目のあたりにしたようで、かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです。』
-------------------------------------------森敦 『月山』 冒頭部分を引用しました。

私はこの森敦の小説『月山』の世界に憧れ、今回の旅を決行したわけです。なので、ここでちょっと小説のことに触れておきたいと思います。

この小説は、短編ながらも文字の隙間から唸りの様なものが聴こえてくる、そんなちょっと不思議な作品なんですよ。
字面を追っていて頭の中にイメージという画、が浮かぶことは誰にもあることですよね。でも音楽が聴こえてくるというのは私にとって初めてのことで、それゆえにはまり込んでしまったのです。


この度の旅行で、まず庄内側から月山を眺め、肘折を後にしたのは小説の主人公と同じ行動をとりたかったからです。そこに描かれていた『まどかな山』、庄内側からは想像もつかないほど異なった風貌であるという月山、を是非実感したいと思ったからでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「今から肘折まで行ってきます。」

「あんな山奥へ?あそこはかなりの豪雪地帯でねぇ。」



最上屋旅館で御飯を3杯おかわりした私は、これで準備万端と意気揚々たる気持ちでした。
それもそのはず、鳥海の湧き水で炊かれたきらきら輝く庄内米の御飯、分厚い鮭の切り身にこれまたたくさんのおかず、特に切干大根とコンニャクに魚の子(←後ほどお聞きしたところ寒鱈の子だったそうです)をあしらえたものがとても美味しかったのですが、これらおじさん手作りの豪勢な朝食のおかげで、私はすっかり力が入っていたのです。


しかし、いくら豪雪地帯といってもきちんと除雪された道路をバスは進むわけで、それにこの暖かさも相まって『危うく行き倒れになる』ことに憧れを抱きながらも、そんなことは絶対に無いのでした。


肘折はかなり深い渓谷で、温泉街は迫った崖に阻まれ眺望も何もありませんでした。それでもここの湯に浸かると肘の骨折が完治したという、そんな謂れのあるところで、観光客はもちろん湯治客も多いところです。

それゆえに、この温泉街の旅館は一般客用と湯治客用とに分けて営業されているそうで、湯治客は宿の一室を借りて自炊が可能だそうです。この場合、当然宿代は安価に設定されているのでしょう。おそらく数週間からひと冬をここで過ごす人も多くいらっしゃるのだろうと思います。

たまに、目つきの悪い、というか、ちょっと普通じゃない、なんて言うと大変失礼なんですが、そんな男の人を何度か見かけまして、あれが湯治の人だったのかなぁと思うのです。

さて、湯の心地よさは格別でした。私も上ノ湯という温泉に浸かりましたが、重いリュックでできた肩の腫れはすっかり治まったようでした。

季節柄人通りもなく寂れた風情ではありましたが、やはり山奥に来たという感動が私の中に残っていて、今となってはそんな肘折が懐かしく思い出されています。


さて月山ですが。

バスの車窓、左手すぐ前方になんやら雪山があったんですよね。
ん?なに?これ違うよな?


 『かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです。』
と、小説にあるように、私も気さえつかずにおりました。


月山は臥せた牛の姿に似ているといわれ、庄内側から見るとごつごつとした稜線の下方に湯殿山に続く尾根の線が際立っていたのです。それがこちら裏側から見ると全く違った姿です。
しばらくして、右手遥か前方に鳥海山の姿がはっきり見えた時、位置関係からいってもそれがやはり月山だと認識せざるをえなくなりました。

よく見ると稜線のすぐ向こう側に、牛というよりラクダの瘤のような、丸っこい山が見えている。
それは確かに『まどか』な線であり、庄内側からは見えなかったものでした。

もしこれを月明かりの中で見たとしたら、『この世ならぬ月の出』 を感じられたのかもしれません。そして、月山がなぜ‘月山’といわれるのか、その由縁をしっかりと了解することができたでしょう。


この裏側の月山をまっ昼間に見てしまったことは、少し残念だったかもしれません。それでも左前方に月山、右前方に鳥海山と、さらにその間に拡がる庄内平野を一望したことは一生の思い出になると思います。
ほんとうに、このパノラマは素晴らしい光景でした。


写真ですが、生憎ここで電池切れになっておりました。まあ、こういうのは写真なんぞに撮らないほうが、心の風景として強く残ることになるのでしょう。

誰にも見せてあげない、私ひとりの光景です。すみません。


ええーと、これで旅行記終わりにしたいと思います。長いのを読んでくださった方、ほんとうにありがとうございました。最後に、掲載できなかった写真を何枚かと、書ききれなかったエピソードをちょこっと書いて終わりにしたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~その他写真とエピソード。

快速最上川(酒田⇔新庄)の車窓風景です。
酒田から肘折に行くのには陸羽西線に乗るのですが、1日1便のみ快速最上川というのが運行しています。これは松尾芭蕉にちなみ‘奥の細道最上川ライン’という愛称で呼ばれています。
b0032167_5293518.jpg


結構トンネルが多くて、たいした写真は撮れなかったのですが、水墨画のような雰囲気はなんとなく伝わってくれるかなと思います。車窓からは、最上川を行き来する観光船が見えたり、船に乗る乗客が指定駅からいそいそと行く様が見えたりしました。
b0032167_5363087.jpg



この列車に乗る前、観光列車だからきっとたくさん人が乗ってくるのでは、と早めに駅に着いたのです。それが早く着きすぎてしまって、駅の待合所で時間をつぶすことになりました。

待合所のテレビではスケートの浅田真央ちゃんが映っていて、みなさん目を釘付けにして見てらっしゃったので私もいっしょになって見ておりました。真央ちゃんの応援で気持ちはひとつ。

駅にテレビがあるということもそうですが、電車の本数が少ないと、ずいぶん早めに駅に着いていて、こんなふうに過ごす余裕ができるんだなと思います。雪で電車の遅れなども頻繁にあるのでしょうが、こういったところは都会にない良さだと思いました。

さて、テレビに夢中になっていると「快速最上川は0番線からスタートです」の放送が。0番線?とホームをずずっと歩いていくと、
‘0番線はこの先です’の看板が。
さらに先へ進むと、ここに電車が入ってくるの?と思うような、端っこの目立たないところに2両編成の快速最上川が入ってきました。

観光列車らしく、電車の写真を撮っている女性がホームに一人(最近は電車オタクに女性が増えています)。車内には観光客かな?と思えるグループが2、3組。
あとは地元の高校生ばかりでした。



こちらは初日に撮ったものです。
注連寺へ行く道中、周囲の音という音が雪に吸い込まれた静かな道、のはずが背後からペタペタという音が聞こえてきました。振り返ると大網バス停のT字路に立っていたお兄ちゃんが、後ろから付いて来てたのでした。
b0032167_5514255.jpg


あるうひぃ~ もりのーなっか~ くまさ~んにぃ~ ♪

ドキッとしたものの、自分がお嬢さんじゃないことを思い出し、

「お仕事してなくていいんですかー?」

「はあ、ちょっとぐらいー。そこまでいっしょに行きますよ~。たまに大きい車が通って危ないしー。」

ということで、途中間違いそうな分かれ道とか教えてもらいつつ、お話ししながらいっしょに歩いてもらったのでした。
大日坊へ寄った帰り、やはりバス停に立っておられまして、副住職に送ってもらったにもかかわらずバスの到着が遅れていたようなので、自動販売機のお茶をご馳走して少しおしゃべりし、写真を撮らせてといったらポーズをとってくれたのでした。

ありがとうお兄ちゃん。おかげさまで迷わずに行けました。旅行しょっぱなにはバス代の小銭がなくて○○バスの運転手さんに負けてもらったりと、何やらアクシデントが続きそうな予感がしておりました。しかし、結果良い旅行になったのは、この初日、お兄ちゃんに会ったおかげです。
旅行記最後を飾る写真として、掲載させて頂きます。
[PR]

by hiruu | 2010-04-24 21:45 | 日記

東北の旅9~最上屋旅館

空は灰色ですがどんより重くもありません。このままここにしばらくいると、どこからか薄日でも差してこないかと思うのですが、やはり昨日と違って月山も鳥海山も見えないのです。
まあ、ああいったものは常に見えているものでないから、かえって見えたときの感動も大きいのでしょうね。でも、ほんとにあれは現実だったのかと思うくらい、月山はもちろん鳥海の姿はすっかり消えていました。

酒田の港 日和山公園より望む
b0032167_4173669.jpg


このようにすっかり見えなくなってしまうと、かえってほっと落ち着いた気分になるものです。

思えば昨夕電車に乗ったとき、海との境はぼんやり靄のかかったようで、沈みかけた日は薄いオレンジ色が縦横に延びたようで、そしてあっという間に暗くなったのでした。
とっくにダルマのような夕日はあきらめて山ばかりを眺めていた私でしたが、鳥海と空がどんどん一体になっていくのを見ていると、いつまでもそれが見えているように錯覚して、暗くなってからは電車のガラス窓の汚れさえ山の稜線に見えたりしていました。

今日になって、私は自分がいかに鳥海に囚われていたかに気づいたのです。


さて、私の泊まった最上屋旅館ですが、こちら建築が大正期の木造3階建て。まるで文化財のようでしたよ。
建物はもちろん、置かれている家具、美術骨董品、それと襖などの建具類、欄間の装飾細工など、最近ではめったに見られないものばかりでした。
ほんと、新建材のちゃちい住宅なんかに住んでいると、その重厚さはとても素晴らしく貴重な物に思えました。

お部屋は掃除が行き届き、塵ひとつない部屋の空気ってこんななんだなー、と思ってしまったぐらいです。ほんと、お部屋に一歩入ったとたん清浄な感じがしたのです。

写真の腕が悪いのでえらい煤けて写っております。最上屋さんには申し訳ありません。
重厚な襖なのになぜか軽やかに開く。するとまずこの応接セットの置かれた縁側に入るのです。
b0032167_4225671.jpg


b0032167_2442326.jpg

そして部屋は畳が本間サイズなのかかなり広かったです。
最初、少しでも安価なところをと6畳間を予約していたのですが、「空いているときはこちらをどうぞ」とのご好意でここに移して頂いたのでした。

写真には写ってませんが、この椅子の後ろ側、めだたない所に棚がありまして、さりげなく画集が置かれていたんです。何かな?と思って手に取ると上村松園さんの画集でした。

床の間に上村松園の絵を模したものが掛けられていました。
b0032167_321654.jpg


私はこの炬燵に入って、ゆっくりと画集のページをめくったのです。
b0032167_255375.jpg

炬燵の後ろにある茶色い扉のようなものは入り口ではありません。たしか、洋服掛けになってたと思います。

伊達政宗の遺訓です。この年齢になって、やっとこういったものが心に伝わってくるように思います。
b0032167_316093.jpg


こちらは東照宮遺訓。徳川家康の言葉だそうですね?史実は曖昧。
旅館のおじさんの、お母様だったかお婆様だったかが書かれたものだそうです。上は行書、下は楷書で書かれています。
b0032167_3184063.jpg

「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常と思へば不足なし
心に起らば困窮したる時を思ひ出すべし 堪忍は無事長久の基 怒は敵と思へ
勝つことばかり知りて負うることを知らざれば害 その身にいたる己を責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり」
と書かれています。楷書で書いてくださってたおかげで私でも読むことができました。


快適なお部屋で糊のパリッと効いた浴衣に着替え、階下へ降りていったところ、おじさんが
「館内をご案内しましょう」
と言ってくれて、あちこちに階段のある不思議な?忍者屋敷のような?館内を拝見、いや、探検しに行きました。
いろんなお部屋がありました。部屋ごとに飾ってあるものに特徴がありました。いっぱいあったので忘れましたが。

おじさんも、
「お部屋は何室あるのですか」と聞いたところ
「ええーーーと、いくつあったかな」と。

そして、3階に小部屋がいくつかありまして、これがまた素敵なお部屋だったんです。
最初はあまりに狭いため客室として使用していなかったそうなんですが、開放したとたんに人気が出たそうです。それもそのはず、まるで数日こもって執筆でもしたくなるような、そんなしっとり落ち着いた、ここが自分の世界~みたいな部屋なんです。私も、今度はここに泊まってみようかな~なんて思いました。さっきも書いたけどここの欄間の細工が素敵だった。

次に、
「これはプライベートな所なんですが、雛飾りをはじめて出したので見て下さい」

と、プライベートルームに案内してくださいました。
そこにはちょっとめずらしいお雛様が飾られていたのですよ。

これはHPから引用させて頂きますが、
「三人官女の他に三番叟と犬付女人が、五人囃子の他に八人囃子が含まれているのが特徴です。 また屏風の代わりに杉戸絵の襖(6枚)と格天井付きです。本家で維持管理出来なくなり譲り受けましたが、何時頃の物か定かではありません」
とのことです。どなたかご存知の方がいらっしゃったら情報提供お願いします。


さてお風呂。
重いリュックを背負って歩き回ったせいか、肩の真ん中辺りが赤く傷になっておりました。気のせいか肩の真ん中あたりの骨が隆起してきたようにも思えて、それがたんなる腫れなのか判らずちょっとびっくりしたのですが、大きくて深い浴槽のたっぷりのお湯に浸かっているとずいぶん楽になってきて、気持ち良く眠りにつくことができました。

ここで寝た。翌朝撮ったので乱れてます、、、。
b0032167_4114558.jpg

枕がちょっと高かったので、座布団を拝借しました。

(つづく~肘折の谷)
[PR]

by hiruu | 2010-04-16 04:22 | 日記

東北の旅8~酒田

「これ持って行ったらいい、貸してあげるから」

最上屋旅館の小父さんはそう言ってくれたのですが、幸い風もなくたいした雨でもなさそうでした。今日は一日こんなお天気だそうで、なので羽黒山まで行こうかなんてことも考えていましたが、そこまで足を延ばすのはやめることにして、酒田の街を歩いてみることにしました。

私はせっかく小父さんが出してくれた大ぶりの傘を断って、神戸からわざわざ持ってきた軽い折りたたみ傘を差し、最上屋さんの引き戸を開けました。ガラガラガラ

最上屋旅館
b0032167_3313510.jpg


手荷物はビニールの小袋ひとつ。中にはハンカチとボールペン、カメラ、そして出掛けに観光マップを印刷しておいたので、戻れなくなって困らないようにと旅館の場所に丸印を付けたものを入れておきました。

もともと観光名所のような所に行くのは好きでなく、それといってどこへ行こうという当てもないのです。
これは雨だから、というのではないのですが、一人旅の寂しさは目的がなくぶらぶらするときに感じてくるもので、歩いているうちにだんだん陰静(←造語)になってくる。そんな気分を私は結構好きだったりするのです。

昨日はあんなことがあったなぁとか、物思いにふけってほげーとしたり、ニヤニヤしたり。そして自分独りなのに気づいて陰気になるのですが、それでも決して鬱にはならない。

これは、旅の行程の中で必ず人との出会いやふれあいがあるからで、これがまた翌日のほげーに繋がっていく。こういうのの繰り返しが好きで、私は一人旅をするのです。

で、さきほどのほげーとニヤニヤの内容ですが、昨夜は酒田駅前発のバスがいつまで待っても来なくて、近くにいたお兄ちゃんに聞いたらお兄ちゃんも酒田に来るのは初めてでわからなくて、しばらくして場所を変えてから、また近くにいたお兄ちゃんに聞いたら、そのお兄ちゃんも酒田に来るのは初めてだという。それで、どうも同じお兄ちゃんだったらしいと気づいて情けなく思ったことや、バスに乗るのをやめてタクシーに乗って旅館まで行くことにしたのが、タクシーの運ちゃんがバリバリの庄内弁で、それまでどこへいってもみんな標準語でしゃべってくるので少しがっかりしていたのが急に嬉しくなって、数百円も払ったけどタクシー乗ってよかったなぁとニヤニヤしたり。

他には、旅館の晩御飯をよっぽど楽しみにしていたのにちょっとした手違いがあってご飯にありつけなかったことや、小父さんが教えてくれた店屋で定食を食べに行ったら、味噌汁に入っていたアオサが分厚くて美味かったこととか、小父さんがお詫びに「朝市へ連れて行ってあげる」と言ってくれているのに「朝は7時に起こしてくれ」なんて言っちゃって、それで小父さん気を使ってくれて小父さん手料理の朝ごはん食べさせてもらったことや、それがめちゃくちゃご馳走で美味しかったこと等等等。

妄想は尽きず。

~~~~~~~

「昼前には戻ります」と小父さんに言って出てきたので、旅館周辺で歩いて行けそうな所を周ってみようと思いました。観光名所は好きでないなんて言いながら、それでも観光マップを持っているので有名な山居倉庫ぐらいは行っておこうと、港方面へ足を向けることにしました。途中で鐙屋(あぶみや)といって廻船問屋の建物があって、先に入ってみることにしました。

鐙屋さんは、日本海海運に多大な貢献をされた問屋さんであります。井原西鶴の『日本永代蔵』にも鐙屋さんの名前が出ています。

庄内雛街道という祭りが近日中に開催されることもあって、鶴岡も酒田も主要観光地は‘雛人形’なのですが、ここ鐙屋さんでも雛人形が飾られていました。

入ってすぐ、学芸員の方でしょうか、知性あふれる綺麗な奥様に「お雛さんを折りませんか」と折り紙をすすめられ、最初、眼鏡をかけたりはずしたりしてお内裏様の折り方を教えてもらってたのですが、

「関西の方ですよね」と言われ「わかりますか」のやりとりから女同士のおしゃべりが続きまして、、、。

小説の影響でこちらに来たといえば、「月山は一度読んでみようと思いながらまだ読んでない」とか、「お互いゆっくり本を読む時間がなかなかね」といえば「最近の作家の本もちっとも知らなくて、何かおもしろいのありませんか」と。
私も最近の作家は知らないけども、三浦しをんさんのがおもしろく読めたとか、‘おしん’で覚えたら忘れないとか、そんなおしゃべりがどんどん発展して、そんでもって即身仏さん見てきたといったら「近くの海向寺さんにも即身仏ありますよ」とか、海向寺には精神科医の香山りかさんがよく来てるだの、香山さんは即身仏さんと長い間お話をされるそうだとか、よくいらっしゃってるとか、それにあの人はプロレスファンでもあるとか。
「精神科医がプロレス好きで即身仏とお話ですか、なんかよくわかりませんね」と大笑い。


1時間ぐらい滞在したでしょうか。。。おもわぬ時間を費やしてしまいました。

こちらでは観光名所はもちろんお寺もそうであったように、どこへ行っても丁寧な案内をしてもらえます。関西の京都や奈良の‘勝手に見てや’の印象と違い、まったく、人の温かみを感じてしまうのです。


「ここに酒田の町に鐙屋といへる大問屋住けるが・・・・・台所の有様、目を覚ましける」井原西鶴『日本永代蔵』

その台所はこんなんだった。
b0032167_326595.jpg
私にもごちそうしてください。


お雛さん。
b0032167_3284086.jpg



つづいて山居倉庫。
b0032167_3372763.jpg

b0032167_3374830.jpg


↓こういうのは私しか撮らんと思う。濡れ石で滑りそうなところを下りた。
b0032167_3381377.jpg


有名な山居倉庫の欅。
b0032167_3385066.jpg


この木が気に入った。
b0032167_3391262.jpg




(つづく~酒田 最上屋旅館)
[PR]

by hiruu | 2010-04-16 03:39 | 日記

東北の旅7~羽越本線小砂川駅まで

鶴岡駅で電車に乗るとき、ドアがいつまで待っても開かないので不思議に思っていると、自分でボタンを押してドアを開くのだそうで、隣にいた女子高生がそうして乗ったので私も同じようにボタンを押して乗りました。

そして、乗ったら乗ったでまたボタンを押してドアを閉めなければいけない。そんなこととはちっとも知らず、どっかと座っていたら、向かい側に座っていた女子高生がついと立ってドアを閉めてくれました。

「すみません」と言おうとしたら‘めんちきられた’のでやめました。高校生は関西も東北も同じです。


高校生ばかりが大勢乗っているわりに、みんな疲れているのか車内はけっこう静かで、どこかしら空気がよどんでいるようでした。私も早朝から歩き回っていたのでさすがに疲れを感じぼんやりしていると、電車が動き出しました。

海側を背にして座っていたのですが、右前方に月山、左前方に鳥海と、2つの山の対峙する姿が目に入りました。西日をうけて少しオレンジ色になった山が、それでも夕方の空を背景にして輪郭はおぼろで、空と山の区分は細い線でしか判らずどこまでも一体化していきそうでした。
これがあの小説に描かれていた『生と死の対峙』かと、そんなことを考えてほげーとしていると写真を撮るのを忘れました。


この日、夕方からの目的は羽越本線に乗って行けるところまで行くこと。日本海を見ること。そしてうまくいけば日本海に沈む夕日が見れるかも、と考えていました。
酒田の旅館には19時頃到着の予定でしたから、あんまりゆっくりはできないのです。といって仮にゆっくりできたとしても、下車駅によっては戻りの電車が翌朝までない場合もあり、行って折り返してちょうど良いのです。私は電車に乗って車窓風景を眺めるのが好きなので、それで満足なのです。


計画段階では象潟まで行けるかと考えたのですが、戻りが遅くなりそうなので×。
だったら酒田から一番近い吹浦はどうだ。吹浦で下りるのならせっかくなので十六羅漢に行きたい。でも十六羅漢から吹浦駅までは歩いて1時間以上かかるらしく、「無理無理」とバスの中でおしゃべりしたおじさんが言っていたのであきらめる。
女鹿はどうだ、ここの駅舎は無人で、、、戻りの電車がない!(女鹿駅は、朝7時台に2本、夕方2本しか電車が停まりません。もろ通学用)。

結局、小砂川という駅で下車することにしました。小砂川駅は駅舎から海が近く、日本海を一目みて走って戻れば酒田行きの電車に間に合うだろうと思ったからです。戻りの電車までたった15分しかないのですが。



吹浦を過ぎた当たりからだんだん暗くなり、小砂川到着時には日没完了。まっ暗な中を下って狭い国道を渡ると海が見れそうでした。

そこは低い崖の上で、真下に暗い海水が波を打っていて、両脇にゴツゴツした黒い岩場が迫っていました。そして私の立っているすぐ横に人の家の玄関がありました。
なんやら人の家の敷地みたいだな、と思いましたが暗かったのでよくわかりません。

本当に海見たか?と問われれば、辺りはもう真っ暗だったのでどうかわからないのですが、『我逝くもののごとく』森敦 著 に描かれていたあの風景だ!と一瞬にして思ったので、もしかしたらイメージトレーニングで認識していたのかもしれません。

電車が来る直前に撮った小砂川駅舎です。思ったとおり真っ黒けだったので明るさ調整して載せてます。
b0032167_3524651.jpg


つづく~酒田
[PR]

by hiruu | 2010-04-09 03:48 | 日記

東北の旅6~鳥海山と鶴岡の出来事

「こんな日はひと冬に2度あるかないかですよ。あなたよかったね、ええ日に来たね。ん、これだと鳥海が見える。」

「ほんと、私、恵まれてますね。こちらは物凄く寒いと思って、こんな防寒服着て来たのに。おまけに長靴まで持ってきてるんですよ。」

鶴岡へ向かうバスの中で、私は初めて出会った人達とおしゃべりに高じていました。そういえば、こちらに来るバスでもこの方と同じような年恰好の老婦人と話しをしたのです。
この地は誰もが好意的で、いつでも誰かが私のことを見ていてくれるような、何か安心感のようなものがありました。

「ほんとに、2週間前だと全然違ったよね。」

「ええ、あのときはねぇ。もう吹いて、吹いて。」

老婦人がアンケート調査員の男の人と話し出しました。この日はたまたま、乗客へのアンケート調査と称して、バス会社の人が乗り込んでいたのです。私はこちらに来るときのバスでも同じような質問をされて、また同じことをここでも答えていたのですが、そのときに神戸から来たというのが他の乗客達の耳に触れたのでしょうか。好意的に感じるのはそのせいかと、そんなふうにも思ってぼんやり窓外を見ていたときでした。


「ああっ、あれが」



「そうです、あれね」

「ほぉ、鳥海が見えるな」


晴天ながらも薄っすら霞んだ遠くに細い稜線が引かれていました。それは正確な線対称でした。流麗といえばもちろんそうなのですが、そんな言葉ではとうてい言い尽くせない、どうしてあんなところにあんなものが、と狐につままれたような、あれ?といった感じなんです。



「これから、どちらへ行くの」

アンケート調査の人が背後から話しかけてきたのにはっとして、私はこれからの行程を説明しました。

私が山形に来た第2の目的は羽越本線に乗ることでした。海側から月山を見ること、そしてうまくいけば日本海に沈む夕日を見れるかと考えていたのです。すでに七五三掛村から月山を見て、注連寺にも行けたので、ここまでは予定通り順調な行程でした。
鶴岡発の電車までずいぶん時間があったので、これといった目的場所はなかったのですが、到道館、うまくいけば到道博物館まで散策してみてもいいなと考えていました。


「黒いマリア像を見に行ったらいい。あれはめづらしいもんだから。」

「黒い、マリア像」

まだ行くとも言わぬ私に、さっさと用紙を裏返して地図を描き出してくれたので、私は席を立ってその人の前の席に移動したのですが、

「ここに赤い橋があるから、そしてこっちに消防署があって、こっちじゃなくてここ、右側にある。もうひと筋歩いて左に曲がれば到道館。帰りは、市役所の前から駅へ行くバスが出てるから。」

さらに、

「博物館はお金がかかるよ。教会は無料だからね。」

とおっしゃるのです。

久しぶりに旅に出ることができた私にとって、数百円ぐらいの拝観料などどうでもよかったのです。もしかすると、私がよっぽど貧乏に見えたのかもしれません。

予定ではこのまま鶴岡駅まで出て、そこから到道館行きのバスに乗り換えるつもりでいましたが、
「ここで下りて、ここで下りて」とおっしゃるので、結局言われるままに、何というバス停かちっとも判らぬ所で下車し、描いてもらった地図を頼りに歩き出しました。


教会によくあるように、鶴岡カトリック教会は幼稚園といっしょになっていました。もう午後も遅くになっていたので園児はいないものの、ご婦人方の集団が来ていました。こんな季節に、どこへ行っても観光客の姿など見かけなかったのですが、さすがに有名なところなのでしょう。

黒いマリアは左側の副祭壇に、金色の衣を纏った姿で真っ直ぐに顔を上げて立っていました。
それまで私は寺の暗いところで即身仏を見ていました(大日坊は少し明るかったですが)。
そしてマリアはとても明るい場所で、おまけに白い壁を背景にして立っていたので黒い顔がはっきり見えました。

即身仏は人であり、マリアは像であって、もちろん比較すべきでないかもしれませんが、苦行を極めたそれとマリアの優しい表情は対照的で、日本と西洋の対象の捉え方というか、捉える姿勢の違いというか、宗教観の違いというかなんというか、また少し勉強してみなければと思ったのです。


(~風はここまで。きどって書くのに疲れたので戻します。)



到道館は、庄内藩主酒井忠徳公が開いた藩校。だそうです。

敷地内には誰もいませんでした。あまり長居をするつもりもなかったので、少し庭園をうろうろして帰ろうと考えていましたが、いつの間にここに来たのでしょうか、若い男が話しかけてきました。


「梅の蕾が膨らんでいますね。春が来たなと、思いませんか」


正直ひきました。何か目的がありそうなその目つきに、さらに2歩ぐらい引いたのですが、自分がおばはんだったことを思い出し、走って逃げるようなことはしませんでした。

テレビ局の取材でした。山形の朝日系のなんやらとか。たしかに、赤い梅の蕾が膨らんでいました。
そして言われるままにインタビューに答えることになったのですが、梅の木の所に立って、さきほどの「春が来ましたね」みたいなことを言って欲しいということで、素直に応じたのです。それでも、

「やらせじゃないですか」とつっこみを入れることは忘れず、
「これ、映るんですか」

「はい、今日の夕方のニュースで、放映します」


旅館のチェックインが19時頃の予定だったので、そのニュースは見れないなと思いながら、ちょうど若い女性グループが来たのでそちらに振って、

「私はこれで失礼しますけど、よろしいですね」

そう言ったときすでに、その男の人は若い女性グループに話しかけていました。少しほっとしながらも、なんやねん、と思ったことを正直に書いておきます。


後日、家に帰ってから何となく気になって、山形○○○を検索してみたら、バックナンバーに赤い梅の蕾が動画のイメージになっているのがあって、もしや?と思ったらそれだった。ああ、汚いおばはんが。
あのとき後で入ってきた若い女性グループは、と思ったらほんのちびっとで、ほとんどが私の顔。それもすっぴんで、寝不足の腫れぼったい顔が、かなり大きく映ってて、それがニタニタしながらしゃべってる。ぐぇぇ~~~。


この日、鶴岡市では最高気温が平年を16.4度上回る20.9度を記録したそうで、それでニュースヘッドラインとなったわけです。
今思えば「その上着、暑くないですか?」とか言われながら、荷物になるので脱ぐのもめんどうと着ていたのが、どうもニュースの内容に相応しくなかったらしく、それで肩から上ばかりが映し出されていたのです。
バックナンバーがなかなか消えなかったのが、やっと消えたので書きました。


写真は到道館
b0032167_23473435.jpg


鳥海山は、写真を撮ることすら忘れるほどで、ありません。。。


(つづく ~羽越本線小砂川駅まで)
[PR]

by hiruu | 2010-03-30 15:47 | 日記

東北の旅5~出羽三山信仰

(今回も森風でいきます。)

「どっち行きよるの あー ちょっとちょっと」

大日坊本堂を慌しく出た私は、持ち前の方向音痴で来た道が戻れず反対方向に歩き出していたようです。副住職に呼び止められ、再度お礼を言って方向を変えましたが、ふたたび呼び止められてしまいました。

「あーちがうちがう あっちから回らなくては、そっちは雪で塞がって通れない」

この時点ですでにバス発車5分前でした。私は駆け足で坂を下りはじめましたが、高台から見下ろす大網村はどの屋根にも雪が均一に積もっていて、またここに来れるかなと思いながら、もうバスなんてどうでもいいような気がしました。

バス停まで5分とは聞いていましたが、きっともう間に合わないでしょう。予定では夕方までに鶴岡に着かなければなりませんでした。私は半分あきらめながらも、やはりどこかで数分でもバスが遅れてくることを期待していたようです。



背後から近づく車の音に、なんとなくそんな気がしていたのですが。
あれは本堂に伺う前のことでした。道が雪に閉ざされていたため迂回して境内に入った私は、一番手前にある大師堂の方に先に入りました。そこには誰もいそうになかったので、一息つこうと思ったのです。長い坂道を上って来たため、こんな冬の最中に私は大汗をかいていたのです。

こんな所で、と思いつつ重ね着の一枚を脱ぎながら、雪囲いの隙間から外を覗ったとき、たしかこんな車が停まっていたなと、そんなうろ覚えのある赤色が目の端に見えたと思うと、車のドアから着物の袖がはためき

「早く乗りなさい あと3分しかない」

思ったとおり、副住職でした。ありがたいことに、まだこんな私のことを気にかけてくれていたのです。私は副住職の運転する車でバス停まで送って頂き、そして別れ際に再訪を約束しました。

-----------------------------
ここで出羽三山信仰について少し勉強したので、自分の感想も含めてまとめておきます。


《出羽三山》
月山、羽黒山、湯殿山の3つの山にそれぞれ神を祀ったのが大昔の話。

それから、インドから中国を経て仏教が入ってくるわけですが、もともと日本人は外来文化を取り入れるのが上手なので、良い面だけでなく悪い面を取り入れることはもちろん、またそれを独自の文化で融合させて違った形式、言い換えれば都合の良い形、で発展させたりする。しかし、そんなふうにしながらも時代によってはあれはやっぱりいっしょにしてはいけない、いやまとめてひとつにしておくのが良いんだ、なんてごちゃごちゃやるわけです。

神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して寺が置かれました。これが※別当寺というのですが、月山には何々寺と何々寺、羽黒山には何々、そして湯殿山には何々と。そして、私の行った注連寺と大日坊はこの湯殿山に属します。
※神社の祭祀を仏式で行う者を別当(社僧ともいう)と呼んだ。 Wikiより引用
(例えば、神社の祭壇でお経をあげたりするわけですね。)


当時は信仰のよりどころとして神、仏どちらも受け入れられていました。仏教伝来当初には、仏は、蕃神(となりのくにのかみ)としてちゃんと区別されていたのに、だんだん混沌としてきて、そんでもって何某の偶像がないと有り難味を感じないので、社に仏像を祀ったりしていたかな。もちろんちゃんと区別して神のみ、仏のみを信仰していた人もいたと思うけど。



江戸時代の初期になると、羽黒山の天宥上人さんと徳川将軍家に癒着ができました。

もともと、出羽三山の寺はどれもが空海(弘法大使)の真言宗でしたが、天宥上人さんは将軍家に保護されていた比叡山の延暦寺にあやかり、天台宗に改宗したのです。それで、月山も同じように天台宗に改宗させられてしまいました。

しかし、これに湯殿山だけが反発しました。

で、今でも湯殿山派のみ真言宗なのです。即身仏さんのお名前に鉄門海上人、真如海上人、と必ず「海」の字がついているのは空海さんの「海」をもらっているわけです。


明治になると、神と仏はやっぱり別々にせなあかん(神仏分離令)、ということになりました。
これが、ただ分離させるだけでいいのに、どういうわけか仏教排斥の意味に受け取られだして、結果として廃仏毀釈と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまいました。

神仏分離令によって注連寺、大日坊は湯殿山から寺院として独立しました。
しかし、出羽三山の他の寺院は、この廃仏毀釈によって壊されてしまったところもあります。また、もともと早くから廃れていたのでスルーされて、宝物だけ残った、というところもあるそうです。




《信仰》
私は何で人がそこまでして何某かを信心しようとするのか、どうして信仰というものが生まれるのか、実はまだよくわからないのです。

毎日をのほほんと暮らしている人間にはとても信仰心なんて生まれるものではないのかもしれません。でも、ちょっとだけそんな気分になったことが一度だけありました。

数年前に、二つに一つの選択に迫られて、自分ひとりではとても選択できなかったときに、何か縋るものが欲しいと思ったことがありました。これは、自分の選択を肯定してくれる何某が欲しかったというよりも、誰かに選択を委ねたかったというのが本音かもしれません。
こういった思いがもっともっと苦しく厳しいものだったら、信仰というものが自分にも生まれたのかもしれないなと思いますが。


しかし、出羽三山信仰は、このような他力を願うものじゃなさそうですよ。


修験道(しゅげんどう)といって、山で苦しい修行をして、‘自力で得る’もののようです。

自分が得れば、他の人にも得させてあげたいと思う。苦しい修行を途中で挫折しないようにと、なんとかしてあげたいと思う。
鉄門海上人さんも真如海上人さんもそんなふうに思われたのかなと、そして苦しい修行をとことんまで極め即身仏という姿になって、いつでも会うことができるように、今もあそこに座ってらっしゃるのかなと思うのです。


さっき‘他力’とか‘自力’って書きましたが、本当の意味はよくわかっておりません。
修験道の実践を通じて‘得た’ということは、森羅万象から‘験を得た’わけなので、あるいはこれが本当の‘他力’というのかもしれません。
-----------------------------

この日、鶴岡市では最高気温を記録したそうです。とってもお天気のよい、ここが東北の地とは思えないぐらいでした。大師堂の雪囲いを内側から見たところ。
b0032167_1122373.jpg


囲いの隙間から撮ったので写りが悪い。前に見えているのが本堂。左下に赤い車が、、。
b0032167_1441666.jpg



汗をかいたのでズボンと靴下を、、、失礼いたします。
b0032167_1124381.jpg



古くから出羽三山と呼ばれ、信仰で栄えた格式ある寺社のひとつ大日坊。そしてその大日坊の、いずれは跡目を継ぐであろう副住職。
この方は、黙っていたらとても上品なオジサマです。しかし、実は話し好きで、気さくで、しゃべりだすとなんぼでも、、、、、。あまり書いて検索して来られたら失礼になりますので書きませんが、もうあのお寺の雰囲気そのもの。この人がいるからあのお寺がこういう雰囲気になるのか、あのお寺がこの人をこういう人にするのかはしりませんが、ここまでお世話になってしまうと、私はもう親愛の情を込めて‘おっちゃん’と呼びたくなるのです。

この場を借りて、おっちゃんにお礼を。
おっちゃん、あの時は本当にお世話になりました。そして、短い時間でしたけど、とても濃いお話を聴かせて頂きました。
おかげ様で、これまであまり関心のなかったことにまで興味が出てまいりまして、そして、少し自分の生き方を振り返ってみなくてはいけない、などと考えてみたりしました。

私はとても即身仏さんのように強い人間になれませんが、もし挫折しそうになったときは、あの時の真如海上人さんのお姿を心に浮かべてみようと思います。

いずれまたそちらに訪れ、あの時バスの時間の関係でお聞きできなかったお話をお聞きしたいと思っております。そのときはあの赤い車をお願、、、。

ここで改めてお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。


そっちから行くと道が、、、。
b0032167_1465566.jpg


塞がってるって。
b0032167_147983.jpg


  ↓本堂ではありません。大師堂、たぶん。
b0032167_113015.jpg
   雪下ろしせんでええんかなー。




(まだまだ続いていいですか。)
[PR]

by hiruu | 2010-03-28 01:02 | 日記

東北の旅4~七五三掛部落から大日坊へ

更新が遅くなってしまいました。そして書くリズムが途切れてしまいまったので、ここからちょっとばかし、文体を変えて書こうと思います。はい、森風に。~~~~~~~~~~~~~~

大日坊も先ほどの注連寺と同じく、雪囲いで被われていました。私は本堂の威容など判らないままに囲いの中をちょいと覗き、‘おじゃまします’と言ったところ、受付に数名の人が居られるようで、話し声さえ聞こえないものの、どういうわけかにぎやかな感じがしました。
最初、雪囲いの隙間から差し込む日差しがそう思わせるのかと思いましたが、これはこのお寺特有のものらしいことが後になって解りました。

大日坊は注連寺の静かで厳かな雰囲気とは違い、全く対照的な寺でした。

--------------------------------------------------------------------------

ここまでの経緯を先に書きます。
最初注連寺を訪問したとき、私はしばらくこの寺で時間をつぶそうと考えていました。しかし、丁寧な案内や説明をしてもらったにもかかわらず、注連寺拝観にたいした時間はかかりませんでした。
このまま真っ直ぐバス道に下りれば一本早いバスに乗れるかと考えましたが、少しもったいないような気がして、寺の裏山の方へ少し上ってみようと思いました。

思いリュックを背負って寺周辺の坂を上ったり下りたりしていると、後ろから来た車から

「乗りますか?国道まで出るんでしょ?」と声が掛かりました。

若い娘ならいざ知らず、私はオバハンなので何の警戒もなく男の人2人が乗る車に同乗させてもらいました。
私はこのとき七五三掛周辺を散策してみようとも考えてましたので、国道に出る手前で下ろしてもらおうと思いましたが、ちょうど昼食時でもあったので

‘この辺りで食事のとれる所はありますか’と聞いてみました。

実を言うと昨夜から何も食べていなかったのです。すると

「私らも今から食事へ行くところです」ということでした。

結局、国道まで送ってもらうどころか昼ご飯までご一緒してしまったのです。まあそれは良しとして、もとの大網のバス停まで送ってもらったところ、まだ次のバスまでかなりの時間がありました。私は七五三掛の端っこから大網にかけてを散策しながらも、先ほど食べた玉コンニャクが結構腹を満たしているせいもあって、最初予定には入れていなかった大日坊まで足を伸ばすことにしたのです。

---------------------------------------------------------------------


大日坊本堂に入ると、日本人離れした目鼻の奥様がいらして、灯油ストーブをあっちからもこっちからも、3,4つ運んでこられました。私は、

‘寒くないのでよろしいですよ’と遠慮したのですが奥様は

「いえいえどうぞどうぞ」

まるで本来の観音様はこうではなかったかと思えるようなお顔をしておっしゃるのです。

実際、山裾の人気のない村を散々歩き周り、ここまでの急坂を登って来た私は結構な大汗を掻いていたのですが、せっかくの奥様の御行為をありがたく頂戴し、それからご本尊の前で頼んでもいない祈祷までして頂いたのでした。

お祓いが終わり顔を上げると、私の横に副住職が立っておられました。色白で上品なお顔をして

「今からご説明をさせて頂きますがお時間はよろしいですか」静かに問われるので、

‘次のバスに乗らないといけませんので、30分ぐらいでお願いできますか’と答えると

「バス停まで5分もあれば行けるので十分でしょう」

ということでした。

寺までの上りは私の健脚15分程度だったので、下りは5分かなと思いました。しかし私の心の内ではバスの時間が少し心配でもありましたが。




副住職のお話しはお寺の歴史に始まり数々の宝物の説明、特にその中で春日局が家光の健康と将軍跡目決定を願い納められた奉書がありました。
それまで私はただ聞いているだけでしたが、副住職が

「竹千代」とおっしゃったのでおもわず

‘家康のことですよね’と言うと

「いやいや、竹千代は家光のこと」と。

(・・・後で調べたところ、徳川家将軍の幼名って代々にわたり竹千代なんですが、知ってらしたか知らんかったかはお互い様)


副住職は最初ゆっくりと話されていましたが、だんだん速くなってきて、

「あれも話したいのに、これも話したいのに」と言いながら、

廊下に置かれた波分大聖不動明王に私が関心を示しているにもかかわらず

「即身仏さんを見てもらわな」

と、即身仏が安置されている部屋に私を急がせるのです。





即身仏にお成りになった真如海上人様は、赤い毛氈の敷かれた台座の上にいらっしゃいました。
副住職はここで即身仏とミイラの違いを詳しく教えてくださいました。

まず、ミイラは死後に他者の手によって処理を為されるものであること。その時に防腐処理に使われる薬剤をミルラといって、それが語源になっていると。
そして即身仏は自力によって、内臓防腐のために漆を溶かした水を自ずから飲む。つまり生きながらにして成されるものであると。ここのところがミイラとは違うんだと強くおっしゃられました。


簡単にまとめさせて頂くと、即身仏に成るには五穀一切を断ち木の実、皮を摂る木食行に始まり、漆を飲んでは自分の力でミイラの状態に近づける。そして入滅の際は土穴に入り座った姿勢のまま経を唱え、そして鈴を鳴らす。

外部にいる者はその鈴の音を聴き、彼がまだ存命だということを知る。つまり鈴の音はまだこの世に生のある証になるわけですが、その音が聞こえなくなり入滅と判断されてもすぐに土穴から出さず、そのあと何千日だったか忘れましたが決められた日数を経て、そこで初めて地上に出されるとのことです。
仏教の行はいろいろあるようですが、これほど過酷な苦行があるのですね。




昔、大日坊が火災にあったときに、あと2体あった即身仏が焼けてしまったそうです。
副住職が2つの黒い位牌を手にし

「お位牌になってしまわれたのですよ」

とおっしゃるのを聞いて、私は即身仏がどういうものかがようやく解ったように思いました。つまり、現存している即身仏はまだ死んではいないということです。

どこの寺でも秘仏というと数年に一度の公開しかされませんが、先ほどの注連寺にしても、この大日坊にしても、どうしてこんな大事な仏をいつでも拝観できるような形で置いてあるのだろうと、そしてこちらが見せてくれなど言わないのに、気軽に見せてくれるのだろうと、私は不思議に思っていたのです。

生きながらにして仏になったので、その姿を見せてこそ人々を教化していく力があるのでしょう。



長くなるのでこのへんで、、、続く。

~~~~~~~~~~

写真は川の水が地表面を流れないようにバイパス用のパイプ、だと思います。
ただいま七五三掛村は地滑り災害のため住民の方が避難されています。私が行ったときも工事関係の方があちこちに立っておられ、安全のために誘導して頂くなど大変お世話になりました。
b0032167_405118.jpg


七五三掛村、といっても注連寺近辺以外は立ち入り禁止区域となっているので、私が散策した場所は村の端っこの方から大網地域だったと思います。

遠望~月山が写っています。
b0032167_45495.jpg

b0032167_46451.jpg



中央部、雪山の下にコンクリートの枡のようなものがあるのですが、わかりますか。
b0032167_461939.jpg

どの家も雪解け水を利用しているようです。
b0032167_4131037.jpg

b0032167_4125032.jpg


綺麗な水でした。
b0032167_4132361.jpg



早く住民の方が元の家に帰れますように。
b0032167_425216.jpg

[PR]

by hiruu | 2010-03-20 04:19 | 日記

東北の旅3~注連寺の行きかた~

ここは読んでもおもしろくないかもしれません。ただ、森敦ファンでいつか注連寺に行きたい!って私みたいな人はたくさんいらっしゃると思うので、そしてその中に、どうやって行こう~~~ と頭を悩ませる私みたいな、加えてとんでもなく方向おんちで地理おんちと、そんな人が一人ぐらいはいるかもしれません。そしてもしそんな方がここを見てくれたら、少しお役に立てるかもしれないので、詳しいのを載せることにいたします。

○注連寺の行きかた1
鶴岡駅から路線バス(庄内交通)に乗る。

○注連寺の行きかた2【関西発時間節約型】
高速バス‘アルカディア号’(大阪発)の山形駅到着が朝7時56分。注連寺へ行くにはここから電車、又はバスに乗り換えいったん鶴岡に出るのが通常のようです。しかし、それでは注連寺到着が遅くなってしまうので、何か方法はないものかと考えてみたのです。そしたらショートカットで行けそうなことに気づきました。
ただし道路状況などでバス発着に遅れがみられるときは無理です。

まず山形駅(終点)ひとつ手前の山交バスターミナルでアルカディア号を下車。これが7:49分です。そして同ターミナルの4番乗り場に移動します。次のバス発車まで15分しかないのでトイレ行ってる時間があるかどうか、ターミナルは広々しているので、私は乗り場確認にけっこう時間かかってしまいましたよ。   ※山交=山形交通 略してヤマコウ というそうです。

8:05発 山交バスターミナル(乗り場4から乗車 鶴岡・酒田行き)  山形自動車道を走ります
 ↓
9:32着 朝日BS        ※BS=バスストップのこと

 ↓   ここから路線バスの停留所まで徒歩。10分かからなかったと思います。
 ↓                                       (地図を下に載せました)
    
9:51発 朝日小学校前(田麦俣・湯殿山方面)※田麦俣=たむぎまた
 ↓
10:03着 大網(おおあみ)
 ↓(徒歩20分)
注連寺                      -時刻表は2010年2月現在のものです-

図の赤い丸のところから高架下をくぐって行くのですネ。そして川を越える。今思えばこういったところを写真に撮っとくべきだったと思います。参考までに・・・朝日BSなんていうと高速道のサービスエリアみたいな所を想像してましたが土産物などもちろん売ってなくて無人の小屋でした。ドアを開けると椅子が2つ3つあって、下の道に降りる階段があるだけ。それと、ここから小学校前のバス発車まで20分しかないわけですが、たまたま晴れてたので良かったけど大雪で吹いてでもいたらとても10分では行き着けなかったと思います。
b0032167_114753.gif

画像は庄内交通さんからお借りしました。

(~七五三掛部落から大日坊へ つづきます)
[PR]

by hiruu | 2010-03-13 01:01 | 日記