2012年 05月 20日 ( 1 )

映画を2本

久しぶりに映画を観ました。友人お薦めの2本です。
感じたことを書き留めておきたいと思います。

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『未来を生きる君たちへ』  監督 スサンネ・ビア   デンマーク・スウェーデン合作


 タイトルだけ見ると‘教育’を意図した青少年向けの映画かと思います。また青少年向け映画といえば、未来に明るい希望を感じさせる結末になることが多いと思います。
しかしこの映画に表現されているのは、善人として生きていくことがどれだけ難しいか、ということでした。
  

 子供であっても大人であっても、‘人を憎む’という感情を持ってしまった以上、それを抑制することは難しいことです。憎しみを断ち切る努力はしても、そこにはどこか無理をしている自分がいます。それはただ、自分の感情をごまかしているだけにすぎないのかもしれません。このことを諦念として受け止めつつも、人は人として生きていかなければならないのでしょう。


 憎しみが自分の心の内だけで留まっていればまだよいのですが、この憎しみが外に出てしまうと争いとなります。また連鎖してしまうと戦争に繋がってしまうのでしょうか。この映画にはそこまで描かれていませんでしたが、なんとなく方向性を指し示していたように思えます。

 ずいぶん前に芥川の作品で生存苦を扱ったものを読みましたが、どこか似ていると感じました。また、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』が脳裏をよぎったりしました。


結末には未来にわずかな光を見出そうとする前向きな方向性が示されていたようですが、それは救いでもなんでもありませんでした。
ただ、辛い生が前途に延々と広がっているようでした。
重く、息苦しく、逃れられないものを受け入れた後の寂しさというか、そんなものを感じました。




各場面で感じたこと。----------------------------


■小さい虫が登場する場面がいくつかありました。
悪党Bigmanの足に這う虫、少年の悪戯のシーンで床を這っていた虫。エピローグの巣を張る蜘蛛の映像。
この虫のシーンは生の営みを暗示しているのでしょうか。それとも不吉なものを象徴しているのでしょうか。これは一度見ただけではよくわかりませんでした。


■会話から(どの場面だったのか忘れました)。

おそらくこれが、この映画の重要なテーマなのだと思います。

自分と相手の間には、必ず見えない壁がある。その壁が取り払われるのは相手が死ぬ時だけで、その時にふと気づくものがあるという。壁が取り払われるのはほんの一瞬で、そしてすぐまた壁ができ通常の生の営みが続いていく。
というような話しでした。

このほんの一瞬の間に気づくものって何なのでしょうか。相手に対する許しなのでしょうか。


■冒頭のナイチンゲールの話。宗教観。
「村から追い出したのに、鳥は戻ってきて鳴いてくれた。その鳴き声を聴いて皇帝は涙を流し、その涙で鳥の心は満たされた」
のような内容だったと思います。これは追い出した神。排除してしまった信仰?そしてその神からの愛、なのでしょうか。
そういえば、親と子の愛情について父親が葛藤する場面が多く表現されていました。

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次回は『この森で、天使はバスを降りた』  監督 リー・デヴィッド・ズロトフ   アメリカ映画
について書こうと思います。
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by hiruu | 2012-05-20 22:49 | 本・詩・文 | Comments(1)