食育ということと風土。

日米クリスマス事情+α
ニューヨークで勉強を続けているネットフレンドが、ブログにこんなことを書いていた。

『冬の日本は久しぶりです。
日本は街の空気にしても食卓の献立にしても季節を感じられるところがいいなぁと思います。・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・筍で春を感じ、西瓜で夏だなぁと思い、柿や栗でおぉもう秋かと思い、冬至に南瓜を食べて冬に備え、みたいなのってすごく好き。
アメリカって食卓で季節を感じることってないのではないかしら?
せいぜい特別な日にはターキー(七面鳥)、とか。なんか情緒がなくて淋しいです。
アメリカの教育に必要なのは食育と道徳。
そしたらもうちょっと心穏やかな礼儀正しい人が育つんではないだろうか、と地下鉄にて思ふ。


私はこの“食育”という言葉にしばらく感じ入ってしまいました。それで今日の日記はこれ!と(^^)

日本という風土に生まれたことの幸せ。
春のやわらかさ、夏の躍動感、秋の落ち着きともの悲しさ、冬の厳しさ。こんな簡易な言葉じゃとても表現できない風土というもの。
太陽や風によってつくりあげられる、温度、湿度、植物の様々な色彩、地中の虫や小動物の動き。また環境に左右されやすい人の感情、というもの。

もちろんどこの国にもそれぞれの風土があって、長い年月の間に育まれた素晴らしいものがあるんだろうけど、独自の風土によって人間性の違いが見られるというのはおおいに認めたいと思う。

“食育”この言葉に、風土が作り出す季節ごとの野菜や、その野菜を使った季節料理や、また寒い日には家族で鍋を囲む、という一家団欒の、つまり人間的な交流が喚起されるんだよね。
[PR]

by hiruu | 2004-10-15 01:32 | 日記