『この森で、天使はバスを降りた』  リー・デヴィッド・ズロトフ監督 アメリカ

刑務所を出所したばかりの女パーシーと、かつてベトナム戦争に志願兵として赴き、生死不明の男ジョニーBが主となってお話しは進みます。

やむをえない事情で重い罪を背負ってしまったパーシーとジョニーBなのですが、筋書きをぐだぐだ書くのは本意ではないので、私の心に残る場面だけをまとめておこうと思います。


まずはこの場面。
パーシーはジョニーBの存在を信じ、森の中へと探しに行きます。

森には草木の葉のすれ合いや、風と光、川の流れがあります。
パーシーは子供のような冒険心と信じる心をもって目には見えない相手、ジョニーBに話しかけます。

「どこにいるの  隠れてないで 出ておいで

  ねえ、ジョニーBと 呼んでいい?」

ここの場面はまるで森の精霊に話しかけているようでした。

軽やかな足取りで森の奥深く入っていくパーシー。そして立ち止まって木々の間を覗くと、向こう側に滝が音を立てて落ちていたりするのです。
この辺り、ウワァ~と私を感じさせてくれました。



では次の場面。
パーシーは出所してから何の産業もないさびれた村に行き、そこで一人暮らしの老婦人に世話になります。この老婦人は長年食堂経営をしながら気丈に生きてきた人なのですが、ふとしたことで腰を痛めてしまいます。それでしかたなくパーシーが店を切り盛りすることになります。
しかしろくに料理なんてしたことのないパーシーです。実に大雑把な料理をお客さんに出してしまうのです。

さて焦がしたパンを出されたお客さん、最初はギョッとした表情をするのですが、文句を言うわけでもなくだまって食べ始めます。


ストーリー展開にはたいしてなんでもないような場面なのですが、こういったところから老婦人に対する村人たちの思いが伝わってきます。

夫を亡くし、一人息子は生死不明。年をとって体が不自由になりつつも食堂経営を頑張っている老婦人。食堂は常連客も多く、毎日のように繁盛している。老婦人に対する敬愛とか、一軒の食堂を大事に考える気持ちですね。

そして、村人たちは刑務所を出所したばかりのパーシーに猜疑心を持ちながらも、決して拒否はしていないというところ、これは常に心の一部分が開いているということで、とても心温まるものを感じるのです。



最後にこの場面。
歩き疲れたパーシーが腰をおろし、歌を口ずさみはじめました。パーシーの歌にひかれて背後から近づくジョニーB。パーシーはその存在に気づくのですが、振り向くことはしません。

目で見なくても存在を感じることができたら、それでいいのです。
ジョニーBはそっとパーシーの頭にその大きな掌で触れる、とここでこの場面はおしまい。
なにかが通い合う瞬間というか、あたたかいものを感じて涙が出た場面です。



ではまとめ。
何度も登場する川の強い流れや滝の映像。
日本の古事記などでは禊、払いの描写がよくありますが、やはりかぶります。
日本では罪や穢れの払いだとしたら、こちらは宗教が違うので償い、なのでしょうね。

さて、パーシーの償いは村の人達に何を与えることになったのか。結末はとてもさわやかなものでした。




前回見た映画と違ってこちらは人の善の部分が満載された作品です。人を敬う気持ちとか、優しさとか、心配とか、いたわりとかが、場面場面ににじみ出ている作品でした。もう一度見たいです。

この映画はWeb友 たけさん のお薦めです。
たけさんのおかげでとても良い作品にめぐり合うことができました。それと実は私、恥ずかしながらツタヤデビュー!DVDなんぞ借りたこともない私が、どきどきしながら‘ツタヤ’に足を踏み入れることになったのもたけさんの後押しがあったからです。

この場を借りて、あらためてお礼を申し上げます。
たけさん ありがとう!
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by hiruu | 2012-06-06 00:03 | 本・詩・文