東北の旅5~出羽三山信仰

(今回も森風でいきます。)

「どっち行きよるの あー ちょっとちょっと」

大日坊本堂を慌しく出た私は、持ち前の方向音痴で来た道が戻れず反対方向に歩き出していたようです。副住職に呼び止められ、再度お礼を言って方向を変えましたが、ふたたび呼び止められてしまいました。

「あーちがうちがう あっちから回らなくては、そっちは雪で塞がって通れない」

この時点ですでにバス発車5分前でした。私は駆け足で坂を下りはじめましたが、高台から見下ろす大網村はどの屋根にも雪が均一に積もっていて、またここに来れるかなと思いながら、もうバスなんてどうでもいいような気がしました。

バス停まで5分とは聞いていましたが、きっともう間に合わないでしょう。予定では夕方までに鶴岡に着かなければなりませんでした。私は半分あきらめながらも、やはりどこかで数分でもバスが遅れてくることを期待していたようです。



背後から近づく車の音に、なんとなくそんな気がしていたのですが。
あれは本堂に伺う前のことでした。道が雪に閉ざされていたため迂回して境内に入った私は、一番手前にある大師堂の方に先に入りました。そこには誰もいそうになかったので、一息つこうと思ったのです。長い坂道を上って来たため、こんな冬の最中に私は大汗をかいていたのです。

こんな所で、と思いつつ重ね着の一枚を脱ぎながら、雪囲いの隙間から外を覗ったとき、たしかこんな車が停まっていたなと、そんなうろ覚えのある赤色が目の端に見えたと思うと、車のドアから着物の袖がはためき

「早く乗りなさい あと3分しかない」

思ったとおり、副住職でした。ありがたいことに、まだこんな私のことを気にかけてくれていたのです。私は副住職の運転する車でバス停まで送って頂き、そして別れ際に再訪を約束しました。

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ここで出羽三山信仰について少し勉強したので、自分の感想も含めてまとめておきます。


《出羽三山》
月山、羽黒山、湯殿山の3つの山にそれぞれ神を祀ったのが大昔の話。

それから、インドから中国を経て仏教が入ってくるわけですが、もともと日本人は外来文化を取り入れるのが上手なので、良い面だけでなく悪い面を取り入れることはもちろん、またそれを独自の文化で融合させて違った形式、言い換えれば都合の良い形、で発展させたりする。しかし、そんなふうにしながらも時代によってはあれはやっぱりいっしょにしてはいけない、いやまとめてひとつにしておくのが良いんだ、なんてごちゃごちゃやるわけです。

神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して寺が置かれました。これが※別当寺というのですが、月山には何々寺と何々寺、羽黒山には何々、そして湯殿山には何々と。そして、私の行った注連寺と大日坊はこの湯殿山に属します。
※神社の祭祀を仏式で行う者を別当(社僧ともいう)と呼んだ。 Wikiより引用
(例えば、神社の祭壇でお経をあげたりするわけですね。)


当時は信仰のよりどころとして神、仏どちらも受け入れられていました。仏教伝来当初には、仏は、蕃神(となりのくにのかみ)としてちゃんと区別されていたのに、だんだん混沌としてきて、そんでもって何某の偶像がないと有り難味を感じないので、社に仏像を祀ったりしていたかな。もちろんちゃんと区別して神のみ、仏のみを信仰していた人もいたと思うけど。



江戸時代の初期になると、羽黒山の天宥上人さんと徳川将軍家に癒着ができました。

もともと、出羽三山の寺はどれもが空海(弘法大使)の真言宗でしたが、天宥上人さんは将軍家に保護されていた比叡山の延暦寺にあやかり、天台宗に改宗したのです。それで、月山も同じように天台宗に改宗させられてしまいました。

しかし、これに湯殿山だけが反発しました。

で、今でも湯殿山派のみ真言宗なのです。即身仏さんのお名前に鉄門海上人、真如海上人、と必ず「海」の字がついているのは空海さんの「海」をもらっているわけです。


明治になると、神と仏はやっぱり別々にせなあかん(神仏分離令)、ということになりました。
これが、ただ分離させるだけでいいのに、どういうわけか仏教排斥の意味に受け取られだして、結果として廃仏毀釈と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまいました。

神仏分離令によって注連寺、大日坊は湯殿山から寺院として独立しました。
しかし、出羽三山の他の寺院は、この廃仏毀釈によって壊されてしまったところもあります。また、もともと早くから廃れていたのでスルーされて、宝物だけ残った、というところもあるそうです。




《信仰》
私は何で人がそこまでして何某かを信心しようとするのか、どうして信仰というものが生まれるのか、実はまだよくわからないのです。

毎日をのほほんと暮らしている人間にはとても信仰心なんて生まれるものではないのかもしれません。でも、ちょっとだけそんな気分になったことが一度だけありました。

数年前に、二つに一つの選択に迫られて、自分ひとりではとても選択できなかったときに、何か縋るものが欲しいと思ったことがありました。これは、自分の選択を肯定してくれる何某が欲しかったというよりも、誰かに選択を委ねたかったというのが本音かもしれません。
こういった思いがもっともっと苦しく厳しいものだったら、信仰というものが自分にも生まれたのかもしれないなと思いますが。


しかし、出羽三山信仰は、このような他力を願うものじゃなさそうですよ。


修験道(しゅげんどう)といって、山で苦しい修行をして、‘自力で得る’もののようです。

自分が得れば、他の人にも得させてあげたいと思う。苦しい修行を途中で挫折しないようにと、なんとかしてあげたいと思う。
鉄門海上人さんも真如海上人さんもそんなふうに思われたのかなと、そして苦しい修行をとことんまで極め即身仏という姿になって、いつでも会うことができるように、今もあそこに座ってらっしゃるのかなと思うのです。


さっき‘他力’とか‘自力’って書きましたが、本当の意味はよくわかっておりません。
修験道の実践を通じて‘得た’ということは、森羅万象から‘験を得た’わけなので、あるいはこれが本当の‘他力’というのかもしれません。
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この日、鶴岡市では最高気温を記録したそうです。とってもお天気のよい、ここが東北の地とは思えないぐらいでした。大師堂の雪囲いを内側から見たところ。
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囲いの隙間から撮ったので写りが悪い。前に見えているのが本堂。左下に赤い車が、、。
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汗をかいたのでズボンと靴下を、、、失礼いたします。
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古くから出羽三山と呼ばれ、信仰で栄えた格式ある寺社のひとつ大日坊。そしてその大日坊の、いずれは跡目を継ぐであろう副住職。
この方は、黙っていたらとても上品なオジサマです。しかし、実は話し好きで、気さくで、しゃべりだすとなんぼでも、、、、、。あまり書いて検索して来られたら失礼になりますので書きませんが、もうあのお寺の雰囲気そのもの。この人がいるからあのお寺がこういう雰囲気になるのか、あのお寺がこの人をこういう人にするのかはしりませんが、ここまでお世話になってしまうと、私はもう親愛の情を込めて‘おっちゃん’と呼びたくなるのです。

この場を借りて、おっちゃんにお礼を。
おっちゃん、あの時は本当にお世話になりました。そして、短い時間でしたけど、とても濃いお話を聴かせて頂きました。
おかげ様で、これまであまり関心のなかったことにまで興味が出てまいりまして、そして、少し自分の生き方を振り返ってみなくてはいけない、などと考えてみたりしました。

私はとても即身仏さんのように強い人間になれませんが、もし挫折しそうになったときは、あの時の真如海上人さんのお姿を心に浮かべてみようと思います。

いずれまたそちらに訪れ、あの時バスの時間の関係でお聞きできなかったお話をお聞きしたいと思っております。そのときはあの赤い車をお願、、、。

ここで改めてお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。


そっちから行くと道が、、、。
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塞がってるって。
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  ↓本堂ではありません。大師堂、たぶん。
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   雪下ろしせんでええんかなー。




(まだまだ続いていいですか。)
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by hiruu | 2010-03-28 01:02 | 日記